日本大百科全書(ニッポニカ) 「趙執信」の意味・わかりやすい解説
趙執信
ちょうしっしん
(1662―1744)
中国清(しん)代の詩人。字(あざな)は伸符(しんぷ)、号は秋谷(しゅうこく)、飴山(いざん)。山東省益都(えきと)県の人。1679年(康煕18)の進士。翰林院庶吉士(かんりんいんしょきつし)を経て、84年山西郷試(きょうし)正考官、ついで右春坊右賛善に抜擢(ばってき)されたが、89年、康煕(こうき)帝の母の忌日に友人と観劇会を催して弾劾され、官籍を剥奪(はくだつ)された。その後は主として故郷で詩酒を友とし、五十余年の余生を送った。その詩は彫琢(ちょうたく)を凝らした繊細な詩風で知られる。また王士禛(おうししん)(漁洋(ぎょよう)、王士禎(おうしてい))の縁者でありながら、その神韻(しんいん)説を批判した『談龍録(だんりょうろく)』を著した。『飴山詩集』20巻が伝わる。
[佐藤 保]
『近藤光男著『漢詩大系22 清詩選』(1967・集英社)』