中国、清(しん)初の詩人王士禎(おうしてい)が主唱した詩説。この詩説を奉ずる一派を神韻派という。格調説、性霊(せいれい)説に対する。その理論は、唐の司空図(しくうと)の『詩品』および宋(そう)の厳羽(げんう)の『滄浪(そうろう)詩話』の継承である。『滄浪詩話』の詩禅一致の境地を理想とし、その弟子たちに「詩を為(つく)るには先(ま)ず風致より入手し、之(これ)を久しうして平淡に造(いた)るを要す」と教えている。唐詩では王維(おうい)をもっとも尊重して杜甫(とほ)をとらず、宋詩の評価が高い。清初における唐宋詩兼修の傾向の代表格である。彼が神韻の2字を用いたのは早く、揚州時代にその二子に課するために唐の律詩絶句を選んで『神韻集』と名づけたのに始まるという。神韻とは換言すれば「平淡なる風致」という意味である。
[佐藤一郎]
…この傾向は生涯を通じてほぼ変わることなく,康熙年間の〈一代の正宗〉として詩壇の中心的位置を占めた。 〈神韻説〉とよばれるその詩論は,唐の司空図の〈味の良さとは酸っぱさとか鹹(から)さを超えたところにある〉とか,禅によって詩を論じた南宋の厳羽の〈空中の音,水中の月の如し〉といった比喩を用いて説かれるが,要は限られた言語の中に無限の興趣をかもし出そうとするものである。過去の詩編については,盛唐を最上とみなす点では明の古文辞派と通ずるところがあるが,李夢陽(りぼうよう)らが李白や杜甫の〈豪放・悲慨〉(司空図の評語)に傾くのに対して,彼は《唐賢三昧集》を編んでもっぱら王維や孟浩然らの〈冲淡・清奇〉を尊ぶ。…
…宋詩を学ぶべしとの主張者たちは,もっと自由な作詩者であるはずだったが,やはり宋詩の欠点の一つであった知的遊戯,機知の乱用が表現の抒情性をそこなうことがあった。清朝の王士禎が提唱した神韻説はこの両派の論争を正面から反駁するものでなく,作者の内心の平静からすぐれた詩が生まれるとする。彼は古典の模倣を排撃するのでなく,作詩者の心境を第一要件とするのである。…
※「神韻説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新