日本大百科全書(ニッポニカ) 「軍用火薬」の意味・わかりやすい解説
軍用火薬
ぐんようかやく
軍事目的に使用される火薬の総称で、発射薬(装薬(そうやく))、爆薬(炸薬(さくやく))、推進薬などがあり、広義にはこれらを組み合わせた信管、火管(かかん)、雷管(らいかん)、導火線、砲弾、爆弾などの軍用火工品も含まれる。発射薬は、銃砲から弾丸を発射するため、砲身内の薬室で燃焼させ、そのガスの圧力により弾丸を加速発射させるもので、初期には有煙の黒色火薬が使用されたが、現在では比較的緩燃性で、砲口炎も少なく、保存上安定な無煙火薬が使用されている。現在おもに使用されている綿火薬(めんかやく)は、ニトロセルロース(NC)を基剤としたシングルベースと、これにニトログリセリン(NG)を混合し膠化(こうか)安定剤のセントラリットなどで膠化成形したダブルベース、さらにこれにニトログアニジン(NGd)を加えたトリプルベースなどがある。爆薬は、ピクリン酸、トリニトロトルエン(TNT)、トリニトロアニール(TNA)などがおもに使用されている。ロケット用の固体燃料として使用されている推進薬は、ドイツで発明されたダブルベースの不揮発性溶剤火薬から発達したもので、酸化剤は硝酸アンモニウム系のものが使われている。
日本における軍用火薬は、1876年(明治9)オランダ製火薬製造機械を輸入して黒色火薬の近代的製造を開始したのが始まりで、85年からはフランス式無煙火薬の研究、製造が始められ、日清(にっしん)戦争にはその一部が使用された。以来、シングルベースは中小口径砲および銃器用に使用され、大口径砲用のダブルベースは陸海軍協同研究で1938年(昭和13)ごろから製造された。爆薬のピクリン酸は、海軍技手下瀬雅允(しもせまさちか)が海外の資料を基に明治初年から研究を開始、1902年(明治35)にドイツから製造装置を購入、本格的な製造を開始した。これが、砲弾、水雷の爆薬として日露戦争中ロシアのバルチック艦隊を撃破した下瀬火薬である。TNTの研究は明治末期から陸軍で行われ、第一次世界大戦後より生産されたが、海軍においては1934年(昭和9)から製造されている。爆薬は、陸軍がピクリン酸、TNTを主体とし、1941年からは安瓦薬(あんがやく)(硝酸グアニジン、ヘキソーゲンおよび硝酸アンモニウムの混合物)やトリニトロフェネトールも制定し、海軍はTNAを制式化したほか、ピクリン酸、TNT、ヘキソーゲンを混用した。第二次大戦中、日本における軍用火薬の総生産量は28万1000トンであった。
[小橋良夫]