辻井民之助(読み)ツジイ タミノスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「辻井民之助」の解説

辻井 民之助
ツジイ タミノスケ


肩書
元・衆院議員

生年月日
明治26年6月3日

出生地
京都府京都市上京区西陣

学歴
小学校〔明治38年〕卒

経歴
西陣織の徒弟となり、25歳で賃織業者として独立する。その間、社会主義運動に関心を抱き、大正8年友愛会に参加。10年西陣織物労働組合を組織し、同年総同盟関西労働同盟会副会長。11年共産党に入党。12年執行委員となるが、同年ソ連に亡命、帰国後の13年検挙され禁錮10カ月に処せられる。のち労働農民党日本労農党などを経て社会大衆党に所属し、昭和10年社会大衆党から京都府議に当選。その後も京都府議、京都市議に度々当選。戦後社会党に入り、衆院議員、京都府議、京都労働金庫理事長などを歴任した。

没年月日
昭和47年7月1日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「辻井民之助」の解説

辻井 民之助
ツジイ タミノスケ

大正・昭和期の労働運動家 元・衆院議員。



生年
明治26(1893)年6月3日

没年
昭和47(1972)年7月1日

出生地
京都府京都市上京区西陣

学歴〔年〕
小学校〔明治38年〕卒

経歴
西陣織の徒弟となり、25歳で賃織業者として独立する。その間、社会主義運動に関心を抱き、大正8年友愛会に参加。10年西陣織物労働組合を組織し、同年総同盟関西労働同盟会副会長。11年共産党に入党。12年執行委員となるが、同年ソ連に亡命、帰国後の13年検挙され禁錮10カ月に処せられる。のち労働農民党、日本労農党などを経て社会大衆党に所属し、昭和10年社会大衆党から京都府議に当選。その後も京都府議、京都市議に度々当選。戦後は社会党に入り、衆院議員、京都府議、京都労働金庫理事長などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「辻井民之助」の解説

辻井民之助 つじい-たみのすけ

1893-1972 大正-昭和時代の労働運動家。
明治26年6月3日生まれ。織物職人から京都の労働運動の指導者となる。大正12年の第1次共産党事件で一時ソ連に脱出。15年入獄し,昭和2年出獄後は労働農民党,社会大衆党などに属し,京都府会・市会議員をつとめた。21年衆議院議員(当選2回,社会党)。昭和47年7月1日死去。79歳。京都出身。著作に「無産青年に与ふ」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「辻井民之助」の解説

辻井 民之助 (つじい たみのすけ)

生年月日:1893年6月3日
大正時代;昭和時代の労働運動家。京都労働金庫理事長
1972年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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