日本大百科全書(ニッポニカ) 「辻六郎左衛門」の意味・わかりやすい解説
辻六郎左衛門
つじろくろうざえもん
(1653―1738)
江戸中期に活躍した地方巧者(じかたこうしゃ)の幕臣。六郎左衛門は通称。諱(いみな)を守参(もりみつ)といい、隠居後は鶴翁(かくおう)と号した。『辻六郎左衛門上書』1巻(『辻氏献可録』ともいう)は有名。初め館林(たてばやし)藩の家臣であったが、藩主徳川綱吉(つなよし)が5代将軍になったので幕臣となる。1688年(元禄1)に勘定(かんじょう)組頭、99年には美濃(みの)郡代に出世し、蔵米(くらまい)500俵の支給を改めて、知行地(ちぎょうち)500石を与えられた。さらに1718年(享保3)勘定吟味役(ぎんみやく)となり、老齢のため隠退する32年まで同役を勤めた。地方巧者として名が高かったので、享保(きょうほう)年間(1716~36)には幕府から地方(じかた)支配についての諮問(しもん)を受け「上書」を提出した。体験に基づいて田制の由来・慣例などを記しており、幕府の地方支配の実体を知るうえで貴重な史料である。『日本経済大典』『日本経済叢書(そうしょ)』所収。
[竹内 誠]