守護,戦国大名の支配の下で,郡を単位として地域的支配を行う郡代官。郡使,郡司などとも呼ばれる。守護,戦国大名の領国支配機構は守護代の下に郡単位に郡代を置いている場合がある。比較的その実態が明らかな大内氏(周防,長門が本国で豊前,筑前をも領国とする),大内氏を滅ぼして防長両国を征服,支配した毛利氏を例に以下その特徴を指摘する。
大内氏領国の郡代の職務は,管郡内の寺社・給人へ大内氏の命令を伝達するとともに管内の諸種の事柄を大内氏に注進する,郡帳(郡支配の基礎になる土地台帳)を掌握して管内の下地を管理する,管内から諸役(段銭等の公役(くやく)や郡夫など)を徴収するとともにそれらを管理し,かつ用途に付する,在地に対して裁判権を行使することで,また筑前では郡代が城督(城奉行)を兼ねて軍事的機能をあわせ掌握している例もある。城督の職務は,城衆の指揮,大内氏からの命令を城衆に伝達するとともにその戦功等を大内氏に注進することなどである。
毛利氏は1557年(弘治3)防長両国を征服すると,一時期旧大内氏奉行人を組織して支配を進め,その過程で大内氏時代の郡司(郡代)制を継承した。毛利氏が掌握した防長郡司はほとんどが大内氏時代から郡司の任にあったものであり,その職務として,管内の給地の引渡し・還補,管内からの段銭・夫役等の徴収,およびその一部を寺社の祭礼用の料足や給人への給付米としてそれぞれに渡付していることなどが知られるので,毛利氏は郡司の管郡に関する長年の実務経験に期待するとともに,基礎台帳である郡帳の掌握をねらったものといえる。ただ毛利氏の防長両国支配はその後しだいに機構的に整備され,安芸吉田の支配機構中枢から直接防長両国内の各郡司に命令が下されるのではなく,新たに防長両国の地域的支配機構として成立した山口奉行や周防東部4郡(都濃,熊毛,玖珂,大島)については四郡段銭奉行を介して行われる形に変わり,またそれによって段銭等の諸役の徴収も彼らが各郡司を統轄して行う形に推移した。以上のように述べると,戦国大名毛利氏の領国支配は整備された機構で整然と行われているかのようであるが,これは大内氏の大名領国制が典型的に展開した防長両国の支配機構を継承し,かつ再編成したために可能であったのである。本国の安芸では,室町時代以来有力な国人領主の連合によって国の秩序が保持される状態にあったため,戦国時代に至ってもその一揆的結合原理に基づく支配形態が維持されており,郡を単位とする整然とした支配機構は成立しなかった。毛利氏に見られるように戦国大名の領国支配は,その領国拡大の過程で多様な歴史的背景をもつ諸地域を支配下に収めたために均質な個別地域によって構成されていないこともあって,郡司制のような郡を単位とする支配機構によって一様には行われなかったことにも注目しなければならない。
執筆者:岸田 裕之
江戸幕府や藩の地方行政官の職名。初期幕府領には関東,尼崎,丹波,三河郡代などあり,中期以降は関東郡代,美濃郡代,飛驒郡代,西国筋郡代に固定化した。関東郡代伊奈氏以外は10万石前後を支配した。勘定奉行配下,躑躅(つつじ)間詰,役高400俵で,代官と同じく年貢徴収と治安維持が主要任務で,検地,灌漑治水,新田開発などを促進し,臨時の用務に大名・旗本領の授受,国役金,勅使参向,将軍上洛時の警備,課役,施行米(せぎようまい)の分与,一揆鎮圧などがある。属僚には手付(てつき),手代,地役人などがいた。各藩の郡代の職掌も幕府に準じているが支配領域は小さい。
執筆者:村上 直
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鎌倉時代に守護代が郡ごとに任ぜられたのが始まり。室町時代には警備の任務から年貢収納を取り扱うようになった。戦国時代には1、2郡を管掌し軍事や年貢の徴収を主としてつかさどった。江戸時代には幕府、諸藩における民政一般の職務にあたる地方官の呼称となる。初期幕府領の支配には関東郡代のほかに尼崎(あまがさき)、丹波(たんば)、三河郡代があり、のち関東、美濃(みの)、飛騨(ひだ)、西国筋郡代に固定化した。関東郡代以外は勘定奉行(ぶぎょう)に所属し10万石以上を支配し、執務事項も、代官と同じく地理、年貢、出納、帳簿などの事務をつかさどる地方(じかた)と、警察、裁判の事務をつかさどる公事(くじ)方の二つの掛(かかり)があり、属吏には手付(てつき)、手代(てだい)、書役(かきやく)などがいた。検地や灌漑(かんがい)治水、新田開発を促進したが、各藩の郡代の職掌も、ほぼ幕府に準じていたといえる。
[村上 直]
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室町~江戸時代の職名。鎌倉時代,郡を単位として軍事・警察権を行使していた守護代(守護の代官)が,室町時代に入り租税関係の仕事も行うようになったことに始まる。江戸時代になると,広域の幕領を支配する役人,あるいは諸藩で直轄地を支配する役人を郡代と称した。江戸初期には甲州・摂津河内・尼崎・三河・丹波などほぼ一国規模で支配を行う郡代がみられた。幕府職制の整備にともない,中期以降は関東郡代と新設の美濃・西国筋・飛騨のあわせて4郡代となった。職務は代官とほぼ同じで,支配高が10万石以上を郡代とよぶ。
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…【福田 豊彦】(2)近世 江戸時代初期に近畿地方などに置かれた幕府の職制。郡代(ぐんだい)ともいう。郡代は守護代の権限を郡ごとに分掌するもので,戦国期にも近畿や関東の後北条氏の分国などに存在した。…
…一方,諸藩にあっては,代官の上にあり,年貢・戸口・宗門・検断・訴訟など農村に対する諸政にあずかり,その支配領域は多くの場合1郡程度であった。しかし,職掌は,各藩によって多様なものがあり,また,郡代・郡方奉行・代官頭などさまざまな呼称で呼ばれた。【藤井 譲治】。…
…勘定奉行に属する旗本役。関東郡代,美濃郡代,飛驒郡代とともに幕府の4郡代という。豊臣秀吉の太閤蔵入地を継承して成立した天領日田は,大名預所,譜代藩領を経て,1639年(寛永16)代官支配地となり,日田代官が設置された。…
※「郡代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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