造士館跡(読み)ぞうしかんあと

日本歴史地名大系 「造士館跡」の解説

造士館跡
ぞうしかんあと

[現在地名]鹿児島市山下町

鹿児島藩の藩校で、現在の中央公園の西側の一画にあった。天保城下絵図によれば、鹿児島城二の丸の東側に位置し、北に隣接して演武えんぶ館があった。造士館の敷地には櫨の植えられた下屋敷下の空地があてられ、南北六五間、北側の東西五八間余、南側の東西四七間余で(旧記雑録)、面積三千四二七坪であった(天保切絵図)。安永二年(一七七三)二月藩主島津重豪によりせい堂として創置され、同年八月建物が落成し、天明六年(一七八六)九月に造士館と改名された(列朝制度)。重豪の聖堂創建の意図は安永二年三月の達によれば、学問・芸術に出精し風俗正しき人物の養成にあった(旧記雑録)。建物は南に面し、仰高ぎようこう門を入ると右手に教育の場である講堂学寮左手に経史数百巻を納めた文庫を配置。両側に看風旗がたなびく真ん中の石畳の道を進むと入徳じゆとく門、さらに進むと杏壇きようだん門、その奥に聖堂があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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