遅塚久則(読み)ちづか・ひさのり

朝日日本歴史人物事典 「遅塚久則」の解説

遅塚久則

没年:寛政7(1795)
生年享保10(1725)
江戸中期の刀装金工家。大森英秀門弟(これを疑う説もある)。初名を喜太郎といい,のちに文治と改め,休足と号した。精緻な象嵌色絵を得意とし,絢爛豪華な図柄は,師をしのぐほどであったと伝えられる。作品には孔雀鳳凰,雉子,山鳥などを好んで表し,まれに牛馬列仙などをモチーフにした鐔も知られる。

(加島勝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「遅塚久則」の解説

遅塚久則 ちづか-ひさのり

1725-1795 江戸時代中期-後期の装剣金工。
享保(きょうほう)10年3月7日生まれ。陸奥(むつ)守山藩(福島県)藩士。大森英秀(てるひで)の門人とつたえられ,色金を多用した華麗・濃密な作風を得意とした。寛政7年10月20日死去。71歳。通称は喜太郎,のち文治。字(あざな)は伯徴。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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