朝日日本歴史人物事典 「遅塚久則」の解説
遅塚久則
生年:享保10(1725)
江戸中期の刀装金工家。大森英秀の門弟(これを疑う説もある)。初名を喜太郎といい,のちに文治と改め,休足と号した。精緻な象嵌色絵を得意とし,絢爛豪華な図柄は,師をしのぐほどであったと伝えられる。作品には孔雀や鳳凰,雉子,山鳥などを好んで表し,まれに牛馬や列仙などをモチーフにした鐔も知られる。
(加島勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(加島勝)
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