朝日日本歴史人物事典 「道範」の解説
道範
生年:治承2(1178)
鎌倉前・中期の真言宗の僧。中世高野山の密教研究を主導した学匠。和泉国船尾(大阪府堺市)の出身。14歳で高野山に登り出家。建保4(1216)年具支灌頂ののち,覚海のもとで研究に邁進し門下四哲のひとりと称された。さらに禅林寺の静遍から密教と融合した念仏思想を,醍醐寺の守覚から広沢流の秘訣を受けるなど研鑽を積み,帰山。高野山の主流派として自説を講じたが,寛元1(1243)年,覚鑁派の牙城たる大伝法院焼打の責任を問われ,讃岐(香川県)に配流された。建長1(1249)年許されて帰山し,講座を再開した。道範は覚海を継承しつつ,醍醐系統の現象界はそのまま絶対真理の顕現という思想を加味し,宇宙の根本原理は一とする「不二門」哲学の樹立を試みた。配流先でも巡礼,法座,著述に励むなど,強靭な精神力の持ち主であった。著書70以上,主著『大日経疏遍明鈔』『秘密念仏鈔』。弟子に能遍,清円 など。<参考文献>櫛田良洪『真言密教成立過程の研究』
(正木晃)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報