朝日日本歴史人物事典 「静遍」の解説
静遍
生年:仁安1(1166)
平安末・鎌倉前期の真言宗の僧侶。平頼盛の子。禅林僧都,大納言僧都とも称された。醍醐寺座主の勝賢から真言小野流の相伝を受け,仁和寺上乗院の仁隆から広沢流を受けた。高野山の明遍,笠置の貞慶にも師事した。仁和寺に住して名声あって僧都となった。のちに法然に帰依した。『法然上人行状絵図』40巻によれば,『選択集』を批判するつもりで読み始めたのが,読み進めるうちに帰依するようになり,法然の墓前で懺悔したという。自ら心円房と号し,一向専修の念仏者となったといわれる。建保5(1217)年清凉寺釈迦堂が炎上したあとの勧進で説法を行い,真実の父母である釈迦へ奉加すべきことを熱弁し,多くの奉加を集めた話が『沙石集』6巻に収められている。同年に仁和寺の宝庫から『般舟讃』を発見し,『続選択文義要鈔』を著した。承久3(1221)年に後高倉院の院宣によって,禅林寺に住したが,晩年には高野山往生院に住した。<参考文献>菊地勇次郎『源空とその門下』
(林淳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報