静遍(読み)じょうへん

朝日日本歴史人物事典 「静遍」の解説

静遍

没年:元仁1.4.20(1224.5.9)
生年:仁安1(1166)
平安末・鎌倉前期の真言宗僧侶平頼盛の子。禅林僧都,大納言僧都とも称された。醍醐寺座主の勝賢から真言小野流の相伝を受け,仁和寺上乗院の仁隆から広沢流を受けた。高野山の明遍,笠置の貞慶にも師事した。仁和寺に住して名声あって僧都となった。のちに法然帰依した。『法然上人行状絵図』40巻によれば,『選択集』を批判するつもりで読み始めたのが,読み進めるうちに帰依するようになり,法然の墓前で懺悔したという。自ら心円房と号し,一向専修の念仏者となったといわれる。建保5(1217)年清凉寺釈迦堂が炎上したあとの勧進説法を行い,真実の父母である釈迦へ奉加すべきことを熱弁し,多くの奉加を集めた話が『沙石集』6巻に収められている。同年に仁和寺の宝庫から『般舟讃』を発見し,『続選択文義要鈔』を著した。承久3(1221)年に後高倉院の院宣によって,禅林寺に住したが,晩年には高野山往生院に住した。<参考文献>菊地勇次郎『源空とその門下

(林淳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「静遍」の解説

静遍 じょうへん

1166-1224 鎌倉時代の僧。
仁安(にんあん)元年生まれ。平頼盛の子。真言宗。醍醐(だいご)寺の勝賢,仁和(にんな)寺の仁隆(にんりゅう)らにまなび,京都禅林寺の住持となる。法然(ほうねん)の「選択(せんじゃく)本願念仏集」をよんで感動し,浄土教にも帰依(きえ)した。晩年,高野山往生院にはいった。禅林寺法印,大納言法印とよばれた。貞応(じょうおう)3年4月20日死去。59歳。号は心円房,真蓮房。

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