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遠藤兵内 えんどう ひょうない

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

遠藤兵内 えんどう-ひょうない

1721-1766 江戸時代中期の一揆(いっき)指導者。
享保(きょうほう)6年生まれ。武蔵(むさし)児玉郡関村(埼玉県美里町)の名主。明和元年(1764),幕府の助郷役増加計画に反対して武蔵を中心におきた百姓一揆,伝馬(天狗)騒動を指導。要求はみとめられたが,首謀者として3年2月13日獄門となる。46歳。通称は関村兵内。名は「へいない」とも。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

遠藤兵内

没年:明和3.2.13(1766.3.23)
生年:享保6(1721)
江戸中期の伝馬騒動(武蔵国の百姓一揆。天狗騒動ともいう)の首謀者,義民。武蔵国児玉郡関村(埼玉県美里村)の名主。江戸幕府日光東照宮百五十回忌に下向する日光例幣使迎え入れと中山道筋の交通量増加への対策として,増助郷を計画した。助郷に動員される農民らは過重な負担増を恐れて反対したが,明和1(1764)年閏12月武州児玉郡・大里郡内の各所に,幕府へ増助郷免除願いの強訴を呼びかける張紙が張られ,大一揆が起きた。一揆の結果,増助郷計画は撤回されたが,一揆後,廻状の張本人として兵内は捕らえられ,獄門に処せられた。死後,神に祭られて「関兵大明神」と崇められ,幕末には「兵内くどき」という踊りがつくられて顕彰された。その墓は今でも香華が絶えない。

(山田忠雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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