遠藤滋(読み)えんどうしげる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「遠藤滋」の意味・わかりやすい解説

遠藤滋
えんどうしげる
(1870―1937)

内科開業医、遠藤培地の発明者。静岡県生まれ。第二高等学校医科(東北大学医学部の前身)を卒業して開業、1894年(明治27)東京に出て伝染病研究所の研究生となり、のちに北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)が主宰する養生園(ようじょうえん)医員となった。1904年(明治37)遠藤培地の発明を発表、全世界の細菌学界に貢献した。フクシン亜硫酸ソーダによって無色(還元型)になるが、酸性にすると容易に赤色(酸化型)に変わる現象をみつけ、この原理を乳糖から酸をつくる大腸菌と酸をつくらない赤痢菌・チフス菌の集落鑑別に応用した。すなわち、弱アルカリ性乳糖寒天培地に無色の亜硫酸フクシン(還元型)を加えた平板培地上の大腸菌集落は赤く、赤痢菌・チフス菌集落は白色と一目瞭然(りょうぜん)になる。これについては、乳酸からつくられたアルデヒドがフクシン亜硫酸と化合して赤紫色物質をつくる(シッフSchiffの反応)との説もある。第二次世界大戦後、SS寒天Salmonella-Shigella agarの登場によって遠藤培地の名は聞かれなくなった。

藤野恒三郎

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「遠藤滋」の解説

遠藤 滋
エンドウ シゲル

明治〜昭和期の医師 遠藤培養基の発見者。



生年
明治3年(1870年)

没年
昭和12(1937)年4月20日

出生地
静岡県興津

学歴〔年〕
二高医科〔明治23年〕卒

経歴
明治27年まで郷里の静岡で医師を開業し、同年上京して伝染病研究所に入所。第2回研究生として細菌学を専攻する傍ら、養生園に勤務。36年遠藤寒天培養基を創製し、チフス菌検査法を発表。チフス菌検出に有力な新方法を考案して世界の医学界に貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「遠藤滋」の解説

遠藤滋 えんどう-しげる

1870-1937 明治-昭和時代前期の細菌学者。
明治3年生まれ。27年北里柴三郎の伝染病研究所にはいる。37年チフス菌,赤痢菌を鑑別する「遠藤培養基」を発明した。昭和12年4月20日死去。68歳。静岡県出身。第二高等学校医科(現東北大医学部)卒。

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