邗溝(読み)かんこう(その他表記)Han-gou

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「邗溝」の意味・わかりやすい解説

邗溝
かんこう
Han-gou

中国チャン(長)江ホワイ(淮)河を結ぶ運河春秋時代王が邗江広陵揚州)に城を築き,これから射陽湖を経て淮安にいたる水路を掘ったと伝えられ,別名山陽涜ともいう。隋の大業1(605)年,ホワン(黄)河淮河を結ぶ通済渠とともに改修が施され,大運河一部となった。以降,江南の生産力が高まるにつれ,穀物,布帛,軍需物資などを華北,関中へ輸送する動脈として重要な役割を果たした。

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旺文社世界史事典 三訂版 「邗溝」の解説

邗溝
かんこう

中国の長江淮水 (わいすい) とを結ぶ大運河の一部。山陽瀆 (さんようとく) ともいう
隋の文帝楊堅 (ようけん) の587年に開かれ,江南の地域と首都長安とを結びつける大動脈の役割を果たした。

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世界大百科事典(旧版)内の邗溝の言及

【大運河】より


[古代の運河]
 中国最古の運河は,春秋時代に宋国が済水(せいすい)岸の陶(山東省定陶県)から南東に向かって開いた菏水(かすい)で,済水と泗水(しすい)とを連絡したものである。南では呉国が今の揚州市から北へ淮河(わいが)岸の淮安市付近まで邗溝(かんこう)という運河を開き,淮河を経て泗水に通ずるようにしたので,黄河と長江(揚子江)とは水路で連絡されるようになった。戦国時代に魏国が大梁(河南省開封市)に都を定めると,西方の滎陽(けいよう)から運河を開き,黄河の水を導いて大梁に水路を通じた。…

【揚州】より

…当時長江は今より幅広く分流し,砂州を形成しながらこの台地の縁辺にまで迫っていた。春秋時代には邗(かん)国が成立し,のちに呉に併合されたが,呉王夫差は北方へ通じる運河邗溝(かんこう)を開き,その拠点として邗城(現在の揚州市の北西)を築くなど,地域の開発の基礎をつくった。そののち楚が領有して広陵と改め,漢になって広陵県が置かれ,江都国(のち広陵国,ついで広陵郡)の治所となった。…

※「邗溝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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