那珂西郷(読み)なかさいごう

日本歴史地名大系 「那珂西郷」の解説

那珂西郷
なかさいごう

現博多区から東区にかけての馬出まいだし地区辺りを含む一帯と考えられるが、はっきりした比定地は不明。「吾妻鏡」文治三年(一一八七)八月三日条に「那珂西郷」とみえ、源頼朝は平氏のために祈祷を行った筥崎宮宮司親重を不快に思っていたが、神官らは大目にみようと決心し、親重に当郷と糟屋西かすやさい(現糟屋郡)を与えている。嘉禎三年(一二三七)山城石清水いわしみず八幡宮の検校兼筥崎宮検校の宗清は、筥崎宮領である当郷などを行清に譲り、当郷と大野おおの別符(現熊本県玉名市)は以後門跡の相伝と定めている(同年五月日「宗清・教清連署処分状案」石清水文書/鎌倉遺文七)。文永元年(一二六四)心蓮は郷内の字箕田にある二寺(石清水八幡宮・筥崎八幡宮か)仏餉田を七〇貫文で「宗三□殿」に売却している(同年九月一〇日「心蓮田地売券」田村文書/鎌倉遺文一二)。貞和五年(一三四九)筥崎大宮司秦重仲は、大宮司職をめぐる争いの間に郷内の大福寺畠や額屋敷一所を同宮供僧金仙らが押領したため、返還を訴えている(同年五月日「秦重仲申状」同文書/南北朝遺文(九州編)三)。観応三年(一三五二)書写安楽寺領注進状に「那珂東西郷」とみえ、安楽寺(太宰府天満宮)領も存在したようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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