日本歴史地名大系 「郡山寺跡」の解説 郡山寺跡こおりやまでらあと 鹿児島県:大口市大田村郡山寺跡[現在地名]大口市大田大田(おおた)地区の北西、郡山八幡神社に隣接してあった。牛王山密教院と号し、真言宗で鹿児島大乗(だいじよう)院末。本尊は不動明王。開基の年次は不明だが、開山照源は天正三年(一五七五)没と伝える。初め篠原(しのはら)村池山(いけやま)にあり、大田への移転の時期は不明という。郡山八幡神社別当を勤めた(三国名勝図会)。「上井覚兼日記」天正二年一〇月一〇日条には、飯野(いいの)(現宮崎県えびの市)の島津忠平(義弘)からの鎌田政年らの下城と上洛の企てについての報告のなかで、上洛を諫める忠平の使者に会おうとしない政年らとの交渉を「郡山寺」に命じたとある。同一一年一〇月一七日朝には「大口郡山寺」で以久らの祈念が行われ、肥後堅志田(かたしだ)口(現熊本県中央町)への出陣について鬮で占われた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by