日本歴史地名大系 「郷原宿」の解説 郷原宿ごうばらじゆく 長野県:塩尻市広丘地区郷原町村郷原宿[現在地名]塩尻市大字広丘 郷原慶長一九年(一六一四)松本城主小笠原秀政が、中山道と北国脇往還を結ぶために北国西脇往還(善光寺道)を整備し、設定した宿場の一つである。郷原宿は北国西脇往還が洗馬(せば)宿から分れて一里二四町北にあり、北は村井宿、南は洗馬宿へ継ぎ送る。宿は奈良井(ならい)川端の上野地籍の人々などを移住させて形成したと伝えるが、口碑では元和五年(一六一九)頃ともいわれる。慶長一九年五月五日の小笠原秀政の「郷原町伝馬定之事」(赤羽家文書)によれば、家数は二三軒で、そのうち伝馬を務めない無役の者は計一三軒あり、残り一〇軒で伝馬役を務めた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by