都賀本郷
つがほんごう
[現在地名]大和村都賀本郷
現大和村の中央東部に位置し、江川東岸沿いに狭小な平地が開けている。中世は都賀郷に含まれ、都賀東と称された。正保国絵図に都賀本郷とみえ、高二五五石余。元禄一〇年(一六九七)の石見銀山領村々覚によれば田方一九八石余・畑方五七石余、年貢高は米一四〇石余・銀四三三匁余、小物成は川網役銀一匁、家数は本家三九・門屋三九、人数二六九。宝永石見国郷村帳では高二五五石余。当地は江川舟運のうえで江津と備後三次との中間地に位置し、しかも大森(現大田市)の石見銀山方面や、赤名(現赤来町)から出雲方面、津賀西へ渡河して出羽(現瑞穂町)から安芸新庄(現広島県大朝町)方面、また上野村へ出て新造路川沿いに防路峠を越えて三次方面への道が交差する陸上交通の要衝でもあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の都賀本郷の言及
【大和[村]】より
…村の中央を北流する江の川の中流域に位置する広島県境の山村で,村域の大部分が山林である。明治中期まで砂鉄の生産が盛んで,都賀本郷,都賀行(つがゆき)は江の川舟運の河港として栄えた。現在は稚蚕共同飼育センター,花卉球根センターが設けられ,チューリップの球根栽培が盛んであり,シイタケ,ワサビ,イチゴも栽培される。…
※「都賀本郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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