鄧拓(読み)とうたく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鄧拓」の意味・わかりやすい解説

鄧拓
とうたく / トントゥオ
(1912―1966)

中国のジャーナリスト、政治家。福建省閩(びん)侯の人。1930年中国共産党に入党し、同年左翼社会科学家連盟に加入。1937年晋察冀(しんさつき)解放区に入り、以後『晋察冀日報』社長などを務め、『毛沢東(もうたくとう)選集』(1944)を編集。新中国成立後『人民日報』社長、総編集、1958年北京(ペキン)市党委員会文教書記となる。1966年4月呉晗(ごがん)の『海瑞(かいずい)官を罷(や)める』とともに、彼の執筆した『燕山夜話(えんざんやわ)』、『三家村札記』(呉晗・廖沫沙(りょうまつさ)との共著)が、盧山(ろざん)会議で追放された彭徳懐(ほうとくかい)らの復帰を求め毛沢東路線に反対するものとして批判を受けた。6月には北京市党委員会書記などの職を解かれ、その直後死亡した。四人組失脚後1979年9月に名誉回復がなされた。

[阿川修三]

『『燕山夜話』(1966・毎日新聞社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「鄧拓」の解説

鄧拓(とうたく)
Deng Tuo

1912~66

中国現代の著名なジャーナリスト。福建省福州の人。1930年中国共産党に入党,日中戦争期には晋察冀(しんさつき)辺区で広報活動に従事した。中華人民共和国成立後は『人民日報』総編集長や社長を歴任。その間北京市党委員会書記となる。61年に『燕山夜話』,また呉晗(ごがん),廖沫沙(りょうまつさ)と交替で『三家村札記』という随筆を執筆したが,これらは66年毛沢東から「反党反社会主義の大毒草」として批判され,文化大革命発端となった。紅衛兵から迫害を受けて自殺した。79年に名誉回復を得た。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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