日本大百科全書(ニッポニカ) 「呉晗」の意味・わかりやすい解説
呉晗
ごがん / ウーハン
(1909―1969)
中国近代の歴史家。浙江(せっこう/チョーチヤン)省義烏の人。若くして胡適(こてき/フーシー)に認められ、34年清華大学卒業。のち雲南大学、西南連合大学の教授となる。明(みん)代史を専攻する実証的学者であった。43年昆明で中国民主同盟に参加し、国民党の独裁政治に反対。新中国成立(1949)後、清華大学文学院長、北京(ペキン)市副市長を務め、とくに歴史教育に力を注いだ。65年歴史劇『海瑞(かいずい)官を罷(や)める』が姚文元(ようぶんげん/ヤオウェンユアン)に、毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)の彭徳懐(ほうとくかい/ポントーホワイ)解任を風刺したものと批判され(文化大革命の口火)、続いて鄧拓(とうたく/トントゥオ)らとの共著『三家村札記』が反党反社会主義的であると批判され失脚。69年死去。四人組失脚(1976)後、名誉回復。著書には『朱元璋(しゅげんしょう)伝』『胡応麟(こおうりん)年譜』などがある。
[阿川修三]
『呉晗著、小林文男・佐久間重男訳『中国の人間観』(1965・勁草書房)』▽『小林文男著『栄光、そして挫折――悲劇の歴史家呉晗のこと』(『中国現代史の周辺』所収・1976・アジア経済研究所)』