20世紀日本人名事典 「鄭永邦」の解説
鄭 永邦
テイ エイホウ
- 生年
- 文久2年12月28日(1863年)
- 没年
- 大正5(1916)年8月20日
- 出生地
- 肥前国長崎(長崎県長崎市)
- 学歴〔年〕
- 東京外国語学校卒
- 経歴
- 家は代々長崎奉行の唐通事として清朝との交渉に当たり、父・永寧も外交官・司法官として活躍。彼も長じて外務省に入り、明治13年北京公使館通訳見習となる。18年第二回北京談判に際して公使館御用掛に任ぜられ、父の代わりに全権大使伊藤博文の通訳を務めた。日清戦争ののち、27年から北京公使館在勤。33年の北清事件では他の公使館員が敵の銃撃に倒れる中で清国との交渉の一切を引き受け、事変後の事後処理でも辣腕を発揮した。38年小村寿太郎全権大使の随行員として北京条約の締結に尽力。次いで39年にはイギリス大使館に転じるが、のち再び北京公使館に復帰した。大正2年に退官。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報