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酒井忠利 さかい ただとし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

酒井忠利 さかい-ただとし

1559-1627 江戸時代前期の大名。
永禄(えいろく)2年生まれ。酒井正親(まさちか)の3男。徳川家康につかえ,駿河(するが)(静岡県)田中城主をへて,慶長14年武蔵(むさし)川越藩(埼玉県)藩主酒井家初代となり,2度加増されて3万7000石。徳川家光の補佐をつとめた。寛永4年11月14日死去。69歳。三河(愛知県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

酒井忠利

没年:寛永4.11.14(1627.12.21)
生年:永禄2(1559)
江戸幕府初期の重臣。三河松平氏の家老,正親の次男。兄重忠と共に若年より徳川家康に仕え,天正18(1590)年関東入国時に武蔵国川越領で采地3000石を与えられる。慶長6(1601)年駿河田中城主(加増7000石)。同14年家康から,将軍出陣時の「江戸の常留守たるべきもの」と指名され,田中から川越城に移る(加増1万石。のちにも加増され,計3万7000石余)。慶長末年から元和初年にかけ,年寄衆に加わって諸政に参画。大坂の両陣(1614~15)では江戸留守居の役を勤め,戦後もその役目である人質(証人)の管理や,女人通行手形の発行などをつかさどった。元和2(1616)年~9年には,世子家光付老臣としても活動した。<参考文献>松尾美恵子「江戸幕府職制の成立過程―初期留守居の補任者と職務内容の検討―」(児玉幸多先生古稀記念会編『幕府制度史の研究』)

(松尾美恵子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の酒井忠利の言及

【川越藩】より

…武蔵国(埼玉県)入間郡川越に藩庁を置いた譜代中藩。ただし後期の松平家は越前家分家の親藩。江戸に近い番城として老中などの重臣が配置された。1590年(天正18)酒井重忠が川越城1万石を領したのが藩の起りである。重忠は城下町の諸役を免除し商人の集住を図ったが,1601年(慶長6)上野国厩橋(まやばし)に移った。09年弟忠利が2万石で入封,検地を実施し,仙波喜多院を復興,三芳野天神社を建立した。忠利没後,嫡男の武蔵国深谷城主で老中忠勝が遺領を合わせ8万石で襲封した。…

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