20世紀日本人名事典 「重井鹿治」の解説 重井 鹿治シゲイ シカジ 昭和期の社会運動家 元・社会党岡山県連書記長。 生年明治35(1902)年1月5日 没年昭和41(1966)年2月16日 出生地岡山県吉備郡日近村(現・岡山市) 別名別名=敏郎 経歴大正14年政治研究会旭川支部の結成に参加し、以後日農の争議を指導、昭和3年の争議で懲役6カ月に処せられる。のち倉敷市に定住して活動し、11年倉敷市議に当選し、12年衆議院議員となるが人民戦線事件で検挙され懲役3年に処せられた。出獄後は司政官として北ボルネオに赴き、22年帰国。同年社会党から衆議院議員となった(1期)後、社会党岡山県連書記長、顧問を歴任した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「重井鹿治」の解説 重井鹿治 しげい-しかじ 1902-1966 昭和時代の社会運動家,政治家。明治35年1月1日生まれ。北海道で農民運動を指導。郷里の岡山県にかえり,昭和5年倉敷一般労組を結成,委員長となり,倉敷紡績万寿工場などの争議に関与。12年衆議院選に立候補したが次点落選,人民戦線事件で検挙・投獄された。その直後西村丹治郎議員死去で繰り上げ当選となったが登院できず辞任。22年衆議院議員に当選(社会党)。昭和41年2月16日死去。64歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by