コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

重宗芳水 しげむね ほうすい

3件 の用語解説(重宗芳水の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

重宗芳水 しげむね-ほうすい

1873-1917 明治-大正時代の実業家。
明治6年7月11日生まれ。三吉電機工場勤務をへて,明治30年東京築地で明電舎を創立。三相交流発電機,柱上変圧器などで業績をのばす。大正元年棚倉電気を創立して電灯分野に進出。6年明電舎を株式組織にし,初代社長となる。大正6年12月30日死去。45歳。山口県出身。東京工手学校卒。旧姓は江木。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

重宗芳水

没年:大正6.12.30(1917)
生年:明治6.7.11(1873)
明治大正期の電気技術者,実業家。岩国藩(岩国市)の小禄藩士の家に生まれた。上京して,遠縁に当たる三吉正一の電機工場に入り,明治22(1889)年から東京工手学校(工学院大の前身)に夜間通学,機械科で学んだ。三吉電機工場の日清戦争後の不調に際し,三吉に諭されて独立,30年に東京築地に明電舎を開業した。34年に三河電力社に100キロワット回転界磁型3相交流発電機を納め,その成績は舶来品にも劣らなかった。明治末期,東京に交流昼間電力が普及すると,精米,印刷などの中小工業者に「明電舎モートル」はひろく使われるようになった。100キロワット発電機は,三吉電機工場の同僚で米国帰りの小田荘吉(三吉正一の遠縁で岩国の出身)が設計したとも伝えられる。大正1(1912)年棚倉電気を創立,6年明電舎を株式組織として初代社長に就任したが,同年に45歳で死去。<参考文献>重宗雄三編『重宗芳水伝』

(高橋雄造)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

重宗芳水
しげむねほうすい
(1873―1917)

実業家。山口県の江木家に生まれ、のち母方の姓を継ぐ。1887年(明治20)三吉電機工場に入る。苦学して91年工手学校を卒業。94年電燈(でんとう)電力機械部主任となる。97年独立して電燈電力諸機械製造工場を創設。明電舎の創始である。1901年(明治34)三河電力の注文で100キロワット回転界磁型三相交流発電機を製作。04年陸軍注文の発火機を製造し、経営の基礎を築いた。以後、三相化した「明電舎モートル」や無線電信用高周波発電機をつくって名声を高めた。その後電燈電力や電気化学事業に着目して1912年(大正1)棚倉電気を創立、社長となった。17年明電舎を株式会社組織に改め、社長に就任。[前田和利]
『重宗雄三編『重宗芳水伝』(1934・故重宗芳水君伝記編纂会)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

重宗芳水の関連キーワードジーメンステスラ青山忠治浅野応輔有竹秀一一色貞三加藤木重教岸敬二郎杉山清次郎立原任

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone