野中庄(読み)のなかのしよう

日本歴史地名大系 「野中庄」の解説

野中庄
のなかのしよう

現篠山市内にあった中世の庄園。篠山盆地南部、篠山川支流小枕こまくら川下流の野中周辺に比定される。文安二年(一四四五)正月一四日の内藤之貞願文(清水寺文書)によれば、丹波守護代の内藤之貞は丹波の軍勢を率いて播磨へ発向する際、清水きよみず(現社町)に対し「之貞知行分丹州多紀郡野中内藤田名下地参段、限永代令寄附」たという。長禄二年(一四五八)一〇月一七日の丹州野中保段銭納状(久下文書)によれば、「野中保田数拾壱町捌段院庁分」の要脚段銭一貫五〇〇文が賦課されている。


野中庄
のなかのしよう

興福寺大乗院領荘園。三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に「宇多郡」として「野中庄春日安居七町四反 応永十年後十月廿五日泰信来(書カ)宇陀郡野中庄、聖林寺、成源所、被仰越智源七郎家成了 請口十貫文内 五貫文内春日安居所方 五貫文検校分」とある。「春日安居所」は預所であろう。「越智源七郎家成」が代官職を請けたこともみられる。聖林寺などは未詳

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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