野中神社(読み)のなかじんじや

日本歴史地名大系 「野中神社」の解説

野中神社
のなかじんじや

[現在地名]土佐山田町 上野

市街地西方、上野うわのと通称される地の小字須江野開すえのびらきに鎮座。野中兼山の四女婉が宝永五年(一七〇八)に建立した社で、兼山一族二〇柱と、兼山に殉死した古槙次郎八重固を合せて二一柱の霊を祀る。

野中婉は野中家改易後諸母子とともに幡多はた宿毛すくも(現宿毛市)流罪となった。以後四〇年間に兄弟が次々に死去し、男系絶えてのち赦免され、八人扶持を給せられた。土佐郡朝倉あさくら(現高知市)老母乳母とともに住し、医を業として生計を立てたが、野中家断絶により祖先祭祀の絶えるのを嘆き、伝来の宝器を師の谷秦山に頼んで売却、その金で兼山ゆかりのこの地に方三間の社地を買い、方一間の祀堂を建立、祭田五反をつけて祭事を古槙氏に託した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の野中神社の言及

【土佐山田[町]】より

…戦国時代,土佐七守護の一人とされた山田氏の居城楠目(くずめ)城(山田城)跡や同氏の菩提寺予岳寺がある。また野中兼山の四女婉が一族の霊をまつった野中神社(お婉堂),婉の師でもあった儒学者谷重遠(秦山)の邸址や墓(史)もある。町の南東部,三宝山中腹には鍾乳洞竜河洞(天・史)がある。…

※「野中神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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