野中婉(読み)のなか・えん

朝日日本歴史人物事典 「野中婉」の解説

野中婉

没年享保10.12.29(1726.1.31)
生年万治3(1660)
江戸中期の医者。土佐藩(高知県)首席家老野中兼山の4女として高知に生まれる。寛文4(1664)年3月3日,父の追罰により母兄弟姉妹と共に宿毛に幽閉される。獄中長兄や3兄より国学,漢学,本草学を学び,のち国学者谷秦山に学ぶ。元禄16(1703)年男系絶滅により赦免される。旧臣をたより高知城下朝倉に住み,秦山に師事しつつ漢方医として生計をたてる。藩主の命じる結婚を拒み,眉を落とさず歯を染めず生涯独身。籠で往診の途中,藩主の若君の籠に出会い,下籠を命じられるも下りず行かせた。藩主の権勢に生涯屈せず生きた。見事な消息文(高知市民図書館蔵)を遺す。60歳で30歳の肌の美を保ったという。

(大原富枝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野中婉」の解説

野中婉 のなか-えん

1660-1726* 江戸時代中期の医師。
万治(まんじ)3年生まれ。野中兼山の4女。父の死後,追罰により土佐(高知県)宿毛(すくも)に幽閉される。元禄(げんろく)16年ゆるされて郷里の土佐高知にかえり,開業。儒学を谷秦山(じんざん)にまなび,詩歌,書にもすぐれた。享保(きょうほう)10年12月29日死去。66歳。号は安履亭,賁趾亭,柳陰。著作に「おぼろ夜の月」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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