( 1 )古く、諸司諸国の官人を任ずる除目や、位階昇進の手続きである定考(こうじょう)及び擬階奏(ぎかいのそう)において、短冊に、叙位・昇進すべき人の名前を書いて、官ごとにこよりで綴じ、重ねて箱に入れた。
( 2 )困窮者に米塩を支給する賑給(しんごう)、別名賑恤(しんじゅつ)において、数量を記入した短冊を現物と引き替える、といったような用途にも使われた。更に、吉凶を占う際のくじの料紙、あるいは、和歌・漢詩を書くための料紙、また、今日の付箋に相当するもの等、種々の用途に当てる、細長く切った紙を、総じて「短冊」と称した。
( 3 )和歌を書くための料紙をもっぱら指すようになるのは、院政期以降といわれる。
和歌、俳句、漢詩、絵などを書く細長い料紙(りょうし)で、鳥の子紙や画牋(がせん)紙などを厚紙に貼(は)り合わせたもの。「たんじゃく」とも読み、短籍、短尺、短策、単尺とも書く。古くは単に細長い小紙片という紙の形態を意味し、捻(ひね)り文(ぶみ)、籤(くじ)、付箋(ふせん)、引換え札、貼り紙などにもこの語が用いられている(『日本書紀』『台記(たいき)』『日本霊異記(りょういき)』『兵範記』など)。短冊の文献上の初例は、花園(はなぞの)天皇の『花園天皇宸記(しんき)』の「正和(しょうわ)二年(1313)四月条」であるが、これは当時(鎌倉後期)作文会(さくもんえ)や和歌会で懐紙の略式料紙として用いられたものである。また短冊が歌合(うたあわせ)の賭(か)け物に使われた例がある。短冊のもっとも古い遺例は康永(こうえい)3年(1344)の奥書を有する『宝積経要品(ほうしゃくきょうようぼん)紙背短冊』(1帖(じょう)120枚。前田育徳会)で、それらがほとんど同じ書式をとって書かれていることから、14世紀中ごろにはほぼ書式の規定も整い、もっぱら和歌を書く料紙として確立していたと推定される。
短冊に俳句や詩を書く場合は決まりはないが、和歌を書くときの書式については、歌全体は2行に書き、上の句を第1行、下の句を第2行に書くが、上の句の第1字は上から3分の1の線に文字が半分かかるようにする(「三つ折り半字かかり」という)とか、墨継ぎは第1、第3、第5句でし、題は歌の上に書き、3字以内は1行、4字以上は2行に割るとか、婦人の場合、自作の場合、古歌の場合というように、また身分の上下によっても細かな規制が設けられている。短冊の寸法については、時代によって多少の変動があるが、現在は昔よりもやや大きめで、およそ縦36.4センチメートル(1尺2寸)、横5.5センチメートル(1寸8分)が標準である。発生当初の料紙はなんの装飾もない素紙(白紙)であったが、15世紀中ごろには素紙に藍(あい)・紫の繊維を雲形に漉(す)き込んだ雲紙(くもがみ)短冊が定着して主流を占め、以後時代が下るにつれて、雲紙短冊に金銀泥(きんぎんでい)の下絵を加えたり、切箔(きりはく)・砂子(すなご)・野毛(のげ)を撒(ま)くなど豪華な装飾短冊が登場した。1598年(慶長3)3月15日の『醍醐(だいご)花見短冊』は著名な典型例である。歴史上の人物のなかには短冊にのみ真跡を残した者も多く、筆跡台帳としてもわが国書道史における短冊の価値はすこぶる高いものがある。
[神崎充晴]
和歌,俳句,絵などを書く縦1尺2寸(36.3cm余),幅2寸(6.06cm)の縦長の料紙で,鳥の子紙や画仙紙などを厚紙に貼り合わせたもの。〈たんじゃく〉とも呼び,短籍,短尺,短策,単尺とも書く。色紙とともに日本独自の書画揮毫用料紙の一種として長く用いられてきた。起源は古く,《日本書紀》や《続日本紀》には短籍と記し,《枕草子》にも用例があるが,いずれも現今とは異なるものである。当初は寸法が一定でなく,〈ひねりぶみ〉と称した小紙片で,字を書きつけて籤(くじ)とし,また吉凶を占うのに用いたことが見える。和歌を書くことは,平安時代に歌集編集に当たって小紙片に1首宛て書きつけてまとめたことに始まるともいわれるが,確証はない。古例の遺品としては南北朝時代初めの兼好,浄弁,慶運,頓阿の和歌四天王による自筆短冊が伝存し,いずれも白短冊で文様はない。室町時代ころから雲形文様や下絵などの装飾を施したものが行われ,雲形は青・藍色を上に,紫・茶色を下に用い,上下に金銀箔を散らした場合は上下のあきの多い方(箔の多い方)が上で,片方のみに施されているのは無地の方が下である。自詠の和歌短冊は上部3分の1の個所に半字かけて書き出し,2行目は初行と行頭をそろえ,末尾の署名は初行(上句)の下辺に半字下がりとする。古歌を書く場合は下句を上句より半字か1字下げて書き,詠者の名は書かないのが通例で,婦人の自詠は古歌に準じた書き方である。筆者の印は古来和歌には捺さないのが原則であったが,現代では漢詩文と同様に落款印が用いられている。題は歌の上部に書き,3字題までは一行書きである。墨継ぎは初句,3句,5句の3度とするのが室町時代以来の基本であったが,現代では自由な墨継ぎで,散らし書きも行われている。現代の寸法は明治時代以降に定まったもので,古くは身分により,また宮廷人の諸家においても一定していなかった。
執筆者:財津 永次
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