野依秀市(読み)ノヨリ ヒデイチ

20世紀日本人名事典 「野依秀市」の解説

野依 秀市
ノヨリ ヒデイチ

明治〜昭和期のジャーナリスト,政治家 衆院議員(自民党);帝都日日新聞社長



生年
明治18(1885)年7月19日

没年
昭和43(1968)年3月31日

出生地
大分県中津市

別名
別名=野依 不屈生(ノヨリ フックツセイ)

学歴〔年〕
慶応商業卒

経歴
慶応商業夜学在学中、石山賢吉の協力で「三田商業界」を創刊、明治41年「実業之世界」と改め社長、会長となった。東京電灯の料金値下げ問題にからむ恐喝などで2回入獄。また浄土真宗帰依、大正10年「真宗の世界」、15年「仏教思想」などを創刊した。昭和7年大分1区から衆院議員に当選。同年「帝都日日新聞」を創刊、19年東条英機内閣を攻撃し、度々発禁処分を受けた後廃刊。戦後は公職追放、解除後30年に再び衆院議員となった。33年には落選。同年「帝都日日新聞」を復刊深沢七郎の「風流夢譚」問題をめぐって中央公論を攻撃、話題となった。著書に「宗教社会主義資本主義」「印度仏教史講和」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「野依秀市」の解説

野依 秀市
ノヨリ ヒデイチ


肩書
衆院議員(自民党),帝都日日新聞社長

別名
別名=野依 不屈生(ノヨリ フックツセイ)

生年月日
明治18年7月19日

出生地
大分県中津市

学歴
慶応商業卒

経歴
慶応商業夜学在学中、石山賢吉の協力で「三田商業界」を創刊、明治41年「実業之世界」と改め社長、会長となった。東京電灯の料金値下げ問題にからむ恐喝などで2回入獄。また浄土真宗に帰依、大正10年「真宗の世界」、15年「仏教思想」などを創刊した。昭和7年大分1区から衆院議員に当選。同年「帝都日日新聞」を創刊、19年東条英機内閣を攻撃し、度々発禁処分を受けた後廃刊。戦後は公職追放、解除後30年に再び衆院議員となった。33年には落選。同年「帝都日日新聞」を復刊、深沢七郎の「風流夢譚」問題をめぐって中央公論を攻撃、話題となった。著書に「宗教と社会主義と資本主義」「印度仏教史講和」などがある。

没年月日
昭和43年3月31日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野依秀市」の解説

野依秀市 のより-ひでいち

1885-1968 明治-昭和時代のジャーナリスト,政治家。
明治18年7月19日生まれ。慶応義塾商業在学中に石山賢吉と「三田商業界」を創刊,明治41年「実業之世界」と改称して社長となる。のち「帝都日日新聞」を創刊。この間,真宗に帰依(きえ)し,「真宗の世界」などを刊行。日本真宗宣伝協会会長。昭和7年衆議院議員(当選2回,自民党)。昭和43年3月31日死去。82歳。大分県出身。著作に「宗教と社会主義と資本主義」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「野依秀市」の解説

野依 秀市 (のより ひでいち)

生年月日:1885年7月19日
明治時代-昭和時代のジャーナリスト;政治家。衆議院議員(自民党);帝都日日新聞社長
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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