野元綱明(読み)ノモト ツナアキラ

20世紀日本人名事典 「野元綱明」の解説

野元 綱明
ノモト ツナアキラ

明治・大正期の海軍中将



生年
安政5年2月15日(1858年)

没年
大正11(1922)年12月7日

出身地
薩摩国(鹿児島県)

学歴〔年〕
海兵(第7期)〔明治14年〕卒

経歴
明治24年横須賀鎮守府参謀を経て、25年ロシア留学。26年ロシア大使館付武官となり、以後2回のロシア派遣を含めて約7年半に渡り同地に滞在。37年戦艦朝日艦長着任日露戦争日本海海戦では第一艦隊の主力として活躍した。41年第二艦隊司令長官、43年第一艦隊司令長官などを歴任、44年海軍中将。大正2年予備役に編入

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「野元綱明」の解説

野元綱明

没年:大正11.12.7(1922)
生年:安政5.2.15(1858.3.29)
明治大正期の海軍軍人。鹿児島県出身。明治14(1881)年海軍兵学校を卒業後,横須賀鎮守府参謀,軍令部出仕などを経て,37年戦艦「朝日」艦長に任じられ,日本海海戦では第1艦隊の主力となって活躍した。戦後少将に進み,43年第1艦隊司令官,さらに翌年中将。大正2(1913)年予備役へ編入。明治30年前後に大使館付武官などとして3度もロシアへ派遣され,合計7年7カ月を現地で過ごした。海軍薩摩閥の一員としてはやや異色のキャリアを持つ人物

(山崎有恒)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野元綱明」の解説

野元綱明 のもと-つなあきら

1858-1922 明治時代軍人
安政5年2月15日生まれ。横須賀鎮守府参謀,ロシア公使館付武官などをへて明治37年朝日艦長となり,日本海海戦で活躍。43年第一艦隊司令官。44年海軍中将。大正11年12月7日死去。65歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。海軍兵学校卒。本姓伊集院

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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