野国総管(読み)のぐにそうかん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「野国総管」の意味・わかりやすい解説

野国総管
のぐにそうかん

生没年不詳。総官とも書く。沖縄に初めて蕃薯(ばんしょ)(サツマイモ)をもたらした人物。「総管」とは沖縄(琉球(りゅうきゅう))から中国に派遣される進貢船の役職名で、「野国」は沖縄本島中部北谷間切(ちゃたんまぎり)(嘉手納(かでな)町)の村名であるから、野国総管は厳密な意味での人名ではない。1604年ごろ、進貢船一員(総管)として中国福建省に赴いた彼は、かの地で蕃薯を得て鉢植えにして持ち帰った。これを知った儀間真常(ぎましんじょう)は、野国に会って蕃薯の栽培法を習い、これを沖縄中に広めた。五穀を補う食糧として大きな役割を果たすことになったが、やがて鹿児島に伝わり全国へと普及する。沖縄では唐芋(とういも)、鹿児島ではカライモ、全国的にはサツマイモの名でよばれるが、この点に伝播(でんぱ)の歴史が象徴されているといえよう。嘉手納町には野国の墓があり、その前面に顕彰碑「総官野国由来記」(1751)が建立されている。

[高良倉吉]

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朝日日本歴史人物事典 「野国総管」の解説

野国総管

生年:生没年不詳
17世紀初頭,中国から初めて甘藷を琉球にもたらした人物。蕃薯大主(大恩人)と尊称されている。野国は出身村(沖縄県中頭郡嘉手納町野国)の村名。総管は中国に向かう貢船の乗組員の一役職名。姓名,経歴は不明。尚寧17(1605)年,総管は甘藷を鉢植えにして中国から持ち帰り,儀間真常に請われて甘藷の苗を分け与え,栽培繁殖の方法を伝授した。その後数年を経て飢饉の発生をみたとき,甘藷が主穀の補いとして大いに役立ち,やがて甘藷栽培が沖縄全域に普及した。尚敬39(1751)年総管の墓所(嘉手納町兼久)の一隅に「総管野国由来記」の碑が建立された。<参考文献>伊波普猷東恩納寛惇・横山重共編『琉球国由来記』(琉球資料叢書1巻)

(葉山禎作)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野国総管」の解説

野国総管 のぐにそうかん

?-? 琉球の官吏。
本名は不詳。野国(嘉手納(かでな)町)は出生村名,総管は中国への進貢船の船員役職名。尚寧王17年(1605)中国から蕃薯(ばんしょ)(サツマイモ)をはじめてもちかえる。このイモは儀間真常(ぎま-しんじょう)により沖縄全島に普及し,のち薩摩(さつま)をへて日本全国にひろまった。

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