日本歴史地名大系 「嘉手納町」の解説 嘉手納町かでなちよう 沖縄県:沖縄島中部嘉手納町面積:一五・〇四平方キロ沖縄島中部西海岸に位置し、北は読谷(よみたん)村、東は沖縄市、南は北谷(ちやたん)町。西は東シナ海に面する。町域は石灰岩台地にあり、北部を比謝(ひじや)川が東から西に流れる。南東部の広大な地域を占める米軍嘉手納(かでな)飛行場の西縁に沿って南北に国道五八号が通り、北部の嘉手納ロータリーから東へ沖縄市知花(ちばな)に至る県道七四号線が走る。嘉手納(かでいなー)グスク・屋良(やら)グスク・国直(くんのーい)グスクがある。屋良グスクは屋良大川(やらおーかー)グスクともよばれ、北山滅亡後に北山王の娘が読谷山(ゆんたんじや)間切に逃れ、屋良城主との間にもうけた子供がのちに勝連城主となった阿麻和利と伝える(嘉手納町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「嘉手納町」の意味・わかりやすい解説 嘉手納〔町〕かでな 沖縄県,沖縄島中部の西海岸にある町。1948年アメリカ軍基地のため分断された北谷村(→北谷町)の一部が分立して嘉手納村となり,1976年町制。アメリカ軍の嘉手納飛行場を中心に,町域の 8割以上が軍用地になっている,比率では県内第1の基地の町。町民は比謝川(ひじゃがわ)左岸沿いの,軍用地に囲まれた細長い地域に居住。第2次世界大戦前の北谷村時代は県立農林学校,製糖工場があり,那覇市からの軽便鉄道の終点でもある中頭郡の中心であった。産業は一部にサトウキビ栽培,養豚業などが行なわれるが,小売業やサービス業などの第3次産業が圧倒的。基地労働者も多く,基地依存型の消費都市にとどまっている。琉球にサツマイモをもたらしたとされる野国総管(のぐにそうかん)の墓があるが,基地内にあり,立ち入りできない。面積 15.12km2。人口 1万3521(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by