日本歴史地名大系 「野山村」の解説 野山村のやまむら 大分県:宇佐郡安心院町野山村[現在地名]安心院町野山森(もり)村の北東、深見(ふかみ)川と支流筌(うけ)ノ口(くち)川の合流点にある。北は妻垣(つまがけ)村。「宇佐郡誌」によると、天文年間(一五三二―五五)大友氏は龍王(りゆうおう)城攻撃のため当地に野山城を築いたという。近世の領主の変遷は妻垣村に同じ。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高一二七石余、人数三九、百姓七(うち庄屋一)・名子一・牢人一・牛七・馬一。元禄豊前国高帳には村名がみえず、元禄豊前国絵図には森村の内として村名がみえるので、この頃には森村に含まれて高付されていたのであろう。 野山村のやまむら 兵庫県:氷上郡春日町野山村[現在地名]春日町野山東端を黒井(くろい)川が流れ、東は坂(さか)村・歌道谷(うとう)村、南は大崎(おおさき)村(現氷上町)。丹後への道が通る。大永六年(一五二六)と推定される一一月二三日の覚勝院了淳書状(実隆公記大永七年夏秋紙背文書)に「丹州雪中野山陣、さそさそと被相像候」とみえる。領主の変遷は古河(ふるかわ)村に同じ。正保郷帳に村名がみえ田高二〇一石余・畠高一一石余、芝山あり、日損少し。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by