野崎藤橋(読み)のざき とうきょう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野崎藤橋」の解説

野崎藤橋 のざき-とうきょう

1766-1828 江戸時代中期-後期儒者
明和3年生まれ。加賀(石川県)の人。京都で皆川淇園(きえん)にまなび,江戸で私塾をひらく。文化5年因幡(いなば)鳥取藩主池田斉稷(なりとし)にまねかれ,のち学館奉行となる。大槻玄沢(おおつき-げんたく),稲村三伯らと親交があった。文政11年4月1日死去。63歳。名は雍。字(あざな)は黎民通称は源蔵。号は藤橘とも。著作に「作文柱礎」「世説絶倒」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む