野崎藤橋(読み)のざき とうきょう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野崎藤橋」の解説

野崎藤橋 のざき-とうきょう

1766-1828 江戸時代中期-後期儒者
明和3年生まれ。加賀(石川県)の人。京都で皆川淇園(きえん)にまなび,江戸で私塾をひらく。文化5年因幡(いなば)鳥取藩主池田斉稷(なりとし)にまねかれ,のち学館奉行となる。大槻玄沢(おおつき-げんたく),稲村三伯らと親交があった。文政11年4月1日死去。63歳。名は雍。字(あざな)は黎民通称は源蔵。号は藤橘とも。著作に「作文柱礎」「世説絶倒」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む