野村治三郎(読み)ノムラ ジサブロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「野村治三郎」の解説

野村 治三郎(8代目)
ノムラ ジサブロウ


肩書
衆院議員(立憲民政党),野村銀行頭取

別名
幼名=常太郎

生年月日
明治10年10月

出生地
青森県野辺地

学歴
慶応義塾中退

経歴
豪商野村家の7代治三郎の長男に生まれ、明治33年家督を継ぎ、治三郎を襲名。35年甲地村(現・東北町)長者久保の所有地に大平競馬場の造成を開始、39年には第1回青森県競馬会を開き、以後馬産振興に尽くす。また青森県農工銀行・野村銀行・上北銀行各頭取、野辺地電気社長としても活躍した。一方、地方森林会議員、恩賜財団済生会評議員、日本産業協会評議員を経て、大正4年衆院議員に当選。以来連続4期務めた。10年から野辺地町会議員。

受賞
野辺地町名誉町民〔昭和51年〕

没年月日
昭和24年1月13日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野村治三郎」の解説

野村治三郎 のむら-じさぶろう

1828-1900 幕末-明治時代実業家,公共事業家。
文政11年11月生まれ。陸奥(むつ)野辺地(青森県)の豪商の6代目。明治23年の大火の際,米をくばり,道路に石をしいて町の復興協力。県内に災害があれば,金や食糧を寄付して救援した。23年貴族院議員。明治33年9月8日死去。73歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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