野村直邦(読み)ノムラ ナオクニ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「野村直邦」の解説

野村 直邦
ノムラ ナオクニ


肩書
海相

生年月日
明治18年5月15日

出生地
鹿児島県

学歴
海兵(第35期)〔明治40年〕卒 海大〔大正9年〕卒

経歴
第2戦隊参謀駆逐艦白雲艦長。海大卒業後大正11年ドイツ駐在。帰国後第1潜水隊参謀、艦政本部員。昭和4年ドイツ大使館付武官、次いで「羽黒」「加賀」艦長、潜水学校長、第2潜水戦隊司令官。10年連合艦隊参謀長、軍令部第3部長などを経て15年日独伊三国同盟軍事委員となり、18年までドイツ駐在。軍事参議官、横須賀鎮守府長官ののち19年大将。東条英機内閣末期の数日間、海相を務めたあと、海上護衛司令官、海運総監となった。戦後愛郷連盟会長。著書に「潜水艦U511号の運命」。

没年月日
昭和48年12月12日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「野村直邦」の解説

野村 直邦
ノムラ ナオクニ

大正・昭和期の海軍大将 海相。



生年
明治18(1885)年5月15日

没年
昭和48(1973)年12月12日

出生地
鹿児島県

学歴〔年〕
海兵(第35期)〔明治40年〕卒,海大〔大正9年〕卒

経歴
第2戦隊参謀、駆逐艦「白雲」艦長。海大卒業後大正11年ドイツ駐在。帰国後第1潜水隊参謀、艦政本部員。昭和4年ドイツ大使館付武官、次いで「羽黒」「加賀」艦長、潜水学校長、第2潜水戦隊司令官。10年連合艦隊参謀長、軍令部第3部長などを経て15年日独伊三国同盟軍事委員となり、18年までドイツ駐在。軍事参議官、横須賀鎮守府長官ののち19年大将。東条英機内閣末期の数日間、海相を務めたあと、海上護衛司令官、海運総監となった。戦後愛郷連盟会長。著書に「潜水艦U511号の運命」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野村直邦」の解説

野村直邦 のむら-なおくに

1885-1973 大正-昭和時代前期の軍人
明治18年5月15日生まれ。潜水艦戦術の専門家,ドイツ通として知られ,第二潜水戦隊司令官,日独伊三国同盟の軍事委員などを歴任。昭和19年海軍大将。東条内閣末期に数日間海相をつとめた。昭和48年12月12日死去。88歳。鹿児島県出身。海軍大学校卒。著作に「潜水艦U511号の運命」。

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367日誕生日大事典 「野村直邦」の解説

野村 直邦 (のむら なおくに)

生年月日:1885年5月15日
大正時代;昭和時代の海軍軍人。大将;愛郷連盟会長
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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