日本歴史地名大系 「野条村」の解説 野条村のじようむら 兵庫県:加西市野条村[現在地名]加西市野条町・新生町(しんじようちよう)琵琶甲(びわこう)村の東、鶉野(うずらの)台地の南端に位置する。天正一五年(一五八七)九月二四日の豊臣秀吉知行方目録(木下家文書)にみえる「のうてう村」が当村のこととみられ、木下家定領となっている。慶長国絵図に村名がみえる。江戸時代の領主の変遷は宝永三年(一七〇六)までは坂田の坂本(さかたのさかもと)村と同じ。以後宝暦一三年(一七六三)までは東南(ひがしなん)村と同じ。天明二年(一七八二)から同四年まで下野宇都宮藩領(「歳之当御条目」吉野町有文書)、文化一二年(一八一五)相模小田原藩領となり(同一三年「年貢免状」野条町有文書など)、文政七年(一八二四)以降は東南村に同じ。 野条村のじようむら 京都府:船井郡八木町野条村[現在地名]八木町字野条筏森(いかだもり)山の北東麓に位置する。北は室橋(むろはし)村、東は日置(ひおき)村、西は北広瀬(きたひろせ)村。東に耕地が開ける。「丹波志桑船記」によると、北東の諸木(もろぎ)村・畑中(はたなか)村と野条村とは続き村であったが、天正の戦乱によって南北の山麓に村民が引きこもったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報