野根山街道(読み)のねやまかいどう

日本歴史地名大系 「野根山街道」の解説

野根山街道
のねやまかいどう

高知城下から東行して海岸沿いに阿波国に至る土佐街道(東街道)のうち、野根山(九八三・四メートル)を越える奈半利なはり(現奈半利町)から野根(現東洋町)までの街道をいう。「土佐幽考」は「自奈半利村至野根甲浦、通阿波国那賀郡宍喰村、坂路也、山中行程十里高峻凌雲」と記す。

野根山越の道は古く、「続日本紀」養老二年(七一八)五月七日条に「土左国言、公私使直指土左、而其道経伊与国、行程迂遠、山谷険難、但阿波国、境土相接、往還甚易、請就此国、以為通路、許之」とあり、この時土佐国府への官道が阿波国から直接土佐に入るルートに変更された。そのルートは異説もあるが、野根山を越えるのちの土佐街道(東街道)ともされる。この道も延暦一五年(七九六)には廃され、のちの北山きたやま越の土佐街道(北街道)にあたるルートに代えられた(→南海道。しかし以後も野根山越の道は使用されており、承久三年(一二二一)土御門上皇が土佐国はた(幡多)へ流される途中雪にあい、難渋した折に「うき世にはかゝれとてこそ生まれけめことはり知らぬ我涙かな」と詠じた(増鏡)のも、野根山越の途中とするのが通説である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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