日本歴史地名大系 「野根浦」の解説
野根浦
のねうら
野根村ともいう。野根川河口北東岸の海岸砂丘上に形成された漁業・商業の集落。野根川による盛んな堆積作用のため砂丘が発達し、付近の浦に比べて津波の害が少なかった。海岸沿いに南下した土佐街道(東街道)は、当村付近で西に折れ野根山を越え、この付近では
貞応元年(一二二二)配流地の土佐国
江戸時代になっても参勤交代時の諸役や、蔵米・木材の上方輸送にこの浦の廻船と水主は重要視された。寛文一一年(一六七一)の諸差出控(寺田氏所蔵文書)では、浦分四五〇軒のうち、水主役を勤める家が一六〇軒あった。「浦司要録」によると貞享三年(一六八六)に野根浦から「殿様御泊宿故彼是御用繁、夫役相勤其上漕船等出し、甲浦ニ御馬船不足ニ付野根浦廻船過半御用ニ相立候故、御上下之懸リ水主御減被下候得」との訴えが出されているほどである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報