日本大百科全書(ニッポニカ) 「野間の大坊」の意味・わかりやすい解説
野間の大坊
のまのだいぼう
愛知県知多郡美浜町野間にある真言(しんごん)宗豊山(ぶざん)派の寺。山号は鶴林山(かくりんざん)。正しくは大御堂寺(おおみどうじ)というが、通称野間大御堂、野間の大坊で知られる。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。寺の縁起によると、天武(てんむ)天皇の時代に役行者(えんのぎょうじゃ)が開創、聖武(しょうむ)天皇のころ行基(ぎょうき)が開山となったと伝える。もとは阿弥陀寺と称したが、承暦(じょうりゃく)年間(1077~81)白河(しらかわ)天皇の勅により現寺名となる。当寺は源氏とゆかりが深く、源頼朝(よりとも)は1190年(建久1)父義朝(よしとも)の墓がある当寺に詣(もう)で、大伽藍(がらん)を建立したが、幾度かの兵火でほとんど焼失した。義朝を遠祖とする徳川家康は寺領250石と付近の山林を寄進し再興した。広大な境内には本堂、客殿、宝物殿などがある。1250年(建長2)に将軍源頼嗣(よりつぐ)が寄進した梵鐘(ぼんしょう)は国重要文化財。本尊阿弥陀如来像は平安末期の作で、県指定文化財。境内の源義朝の墓には無数の木太刀(だち)が奉納されているが、これは、平治(へいじ)の乱で敗走する義朝が湯殿でだまし討ちされ、無念さに「木太刀一つあらば」と叫んだことによる。
[祖父江章子]