野間城跡(読み)のまじようあと

日本歴史地名大系 「野間城跡」の解説

野間城跡
のまじようあと

[現在地名]八千代町中野間

野間のま谷の中ほど、野間川が流れを東に変える所、標高三二九メートルの山頂にある。有田ありた城とも称した。「赤松家播備作城記」は赤松氏の一族在田(有田)修理太夫を城主とし、元亀年中(一五七〇―七三)に別所重棟により殺され落城したとする。「赤松記」によると、大永三年(一五二三)頃、在田氏は浦上氏に対抗して野間城に浪人を集め、浦上氏の推す赤松寒松軒との合戦には勝利したが、享禄二年(一五二九)浦上村宗により落城している(六月二〇日「経書状」朽木文書)。しかし「細川両家記」は翌三年に三木城、御着ごちやく(現姫路市)とともに落城したと記す。のちに別所氏の北進により永禄九年(一五六六)頃に没落したともみえる(年未詳九月一九日「別所家敏書状」上月文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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