金七十論(読み)きんしちじゅうろん

改訂新版 世界大百科事典 「金七十論」の意味・わかりやすい解説

金七十論 (きんしちじゅうろん)

古代インド,サーンキヤ学派の根本典籍《サーンキヤ・カーリカー(数論頌)》の古注で,6世紀中ごろ真諦しんだい)によって漢訳された。著者は不明,サンスクリット原本も発見されていないが,最近テキストが刊行された《スバルナ・ブリッティSuvarṇa vṛtti》は内容的に類似点が多く,本書の原本と推定する学者もある。現存する外道典籍の漢訳としては,本書と《勝宗十句義論》の2書があるのみ。日本では江戸時代後半に盛んに研究され,また20世紀初頭,高楠順次郎のフランス語訳によってヨーロッパに紹介された。なお仏典中には,サーンキヤ学派が仏教徒を論破して《金七十論》なる書物著し,世親はこれをさらに論破したとの伝説があるが,この書と現存する《金七十論》との関係は必ずしも明らかではない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金七十論」の意味・わかりやすい解説

金七十論
きんしちじゅうろん

インド六派哲学サーンキヤ学派の基本的教科書である『サーンキヤ・カーリカー』(数論偈(すろんげ)。イーシュバラクリシュナ著)の注釈書。546年に中国に渡来した真諦(しんだい)によって漢訳された。本書は、現在知られている同種の注釈書類のなかで、比較的に古く、年代も明らかであり、重要な文献である。類書のなかでは『マータラ・ブリッティ』と内容的に似ている。わが国では江戸中期以来この書について盛んに研究されてきたが、暁応(ぎょうおう)(?―1785)の『金七十論備考』や法住(ほうじゅう)の『金七十論疏(しょ)』(1763)などが著名である。

[村上真完]

『金倉圓照著『金七十論疏』(『国訳一切経 和漢撰述部43 論疏部23』所収・1958・大東出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金七十論」の意味・わかりやすい解説

金七十論
きんしちじゅうろん

インドのサーンキヤ哲学派の根本典籍『サーンキヤ・カーリカー』に対する現存最古の注釈書。3巻。作者,成立年代未詳。真諦が 548~569年にかけ漢訳。サンスクリット原典は未発見。

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