インド六派哲学の一つ。漢訳では数論(すろん)。サーンキヤとは、数または熟考を意味するサンキヤーsakhyāから導かれ、25原理を数えて身心と世界を説明する、または真の自己に関する熟考の意味に解される。ヨーガ学派と密接な関係がある。伝説上この学派の開祖はカピラという。この思想の特色は、純粋の霊魂を世界や身心の諸要素から区別する二元論的思考と、諸原理の列挙にある。このような思想は仏教以後の中期や後期の古ウパニシャッド(『カタ』『シュベーターシュバタラ』『マイトリ』などの書)に漸次認められ、大叙事詩『マハーバーラタ』も、長期にわたる仏教文献も種々のサーンキヤ説に言及している。仏教詩人馬鳴(めみょう)(2世紀ころ)も『仏所行讃(ぶっしょぎょうさん)』でそれに触れている。この学派の存在は、紀元前4世紀ころの『アルタ・シャーストラ』(実利論)が哲学の第一にサーンキヤをあげていることからも知られるが、多くの異説も存在した。紀元5世紀ころイーシュバラクリシュナが学説を要約した『サーンキヤ・カーリカー』(数論偈(すろんげ))は、基本的教科書となった。これには9種の注釈書が現存する。そのなかの『金七十論(きんしちじゅうろん)』は546年に中国に渡来した真諦(しんだい)によって漢訳されたもので、日本でも研究されてきた。ガウダパーダの注釈、マータラの注釈、バーチャスパティ・ミシュラ(9世紀)の注釈(『タットバ・カウムディー』)には邦訳もある。しかし重要な注釈は『ユクティディーピカー』であろう。この学派にはほかに『タットバ・サマーサ』と『サーンキヤ・スートラ』(数論経)とがあり、それぞれ数種の注釈を伴っている。前者はその成立が8世紀をさかのぼるにしても六十数語からなる小品にすぎない。後者は526の短文からなり、それに注釈を施したアニルッダ(1500年ころ)とビジュニャーナビクシュ(16世紀)の存在が、その下限年代を示す。
この学派の哲学は、世界の生成転変を説明するとともに、人間存在の分析を通して、解脱(げだつ)の可能性を示す。まず身心や世界は物質的な根本原因から展開し、またそのなかに解消する。根本原因プラクリティから覚(かく)が生じ、覚より我慢(がまん)が生じ、我慢より一方に意と五感器官と五行為器官が生じ、他方、五微細元素が生じ、それより五粗大元素(地水火風空)が生ずる。因であるプラクリティも果である23原理もともに同質であって、純質・激質・闇質(あんしつ)の3要素からなる。この3要素の作用によって、諸原理の展開(転変)と、自然界や身心の状態が説明される。一方この因果を超越し、単にプラクリティの所産たる身心を眺める独立の霊魂プルシャ(霊我)が各自に存在する。霊我が身心とは別であることを自覚することによって死後に完全な解脱を得ると説く。
[村上真完]
『山口恵照著『サーンキヤ哲学体系序説』(1964・あぽろん社)』▽『山口恵照著『サーンキヤ哲学体系の展開』(1974・あぽろん社)』▽『村上真完著『サーンクヤ哲学研究』(1978・春秋社)』▽『村上真完著『サーンクヤの哲学』(1982・平楽寺書店)』▽『本多恵著『サーンキヤ哲学研究』上下(1980、81・春秋社)』▽『中村了昭著『サーンクヤ哲学の研究』(1982・大東出版社)』▽『金倉圓照著『真理の月光』(1984・講談社)』
インドの正統バラモン系統の,いわゆる六派哲学の一つ。サンスクリットのサーンキヤSāṃkhyaは〈僧佉(そうぎや)〉と音写され,〈数論(すろん)〉と訳される。このため数論学派とも呼ばれる。世界の原理として精神的原理と物質的原理の二つをたて,二元論の哲学を展開する。その出発点は人間存在を苦と見るところにあり,この哲学説の目的は,人間存在をとりまく苦からいかにして脱却するかにある。精神的原理はプルシャpuruṣa(漢訳で〈神我〉)と呼ばれ,純粋精神であって,知を本質とし,個我であり,原子の大きさをもち,無数に存在する。それは永遠の実体であって本来的に輪廻や解脱とかかわりない。活動することなく,その作用はただ物質的原理を観察(ダルシャナdarśana)するのみである。また物質的原理はプラクリティprakṛtiまたはプラダーナpradhāna(〈自性〉)と呼ばれ,唯一の実体であって,永遠で活動性をもち,非精神的な質量因である。物質的原理は三つの構成要素トリグナtriguṇa(〈三徳〉)から成る。その三つとはサットバsattva(〈純質〉),ラジャスrajas(〈激質〉),タマスtamas(〈翳質〉)で,それぞれかかわりあって存在する。これら3構成要素が平衡状態にあるとき物質的原理は変化しないが,それらのバランスが精神的原理の観察を条件として破れると,物質的原理は変容を開始する。その変容を〈開展(パリナーマpariṇāma)〉という。その結果まず根源的思惟機能ブッディbuddhi(〈覚〉)またはマハットmahat(〈大〉)が現れる。これは確認作用を本質とし,同じく三つの構成要素からなり,身体内部の一つの器官である。さらにそれから自我意識アハンカーラahaṃkāra(〈我慢〉)が現れる。これもまた3構成要素からなり,〈わがもの〉という観念の基体であり,根源的思惟機能を精神的原理であると誤認する。この誤認が輪廻や苦の原因となる。サットバが強力なときの自我意識から意(思考器官)および眼,耳,鼻,舌,身の五つの感覚器官と,発声器官,手,足,排泄器官,生殖器官の五つの行動器官が成立する。また,タマスが強力な場合の自我意識から色,声,香,味,可触性という五つの〈微細な要素〉が成立し,さらに色からは火,声からは空間,香からは地,味からは水,可触性からは風というように五つの〈元素〉が生ずる。
精神的原理(プルシャ)に始まり,風という〈元素〉に終わるこの学派の体系を構成する諸要素は,その数から二十五諦(たい)と呼ばれる。根源的思惟機能と自我意識および五つの〈微細な要素〉によって小さな身体リンガ・シャリーラliṅga-śarīra(〈細身〉)が形成され,これが輪廻の主体で,死後も滅びることなく精神的原理(プルシャ)とともに転生する。解脱を達成するためには,物質的原理から精神的原理を独立させる必要がある。それを実現するためには上記の二十五諦の理論の知恵を得ねばならない。この知恵を獲得し,解脱を達成しても,いまだ肉体が存続している場合,この状態を生前解脱と称する。肉体が失われ精神的原理と物質的原理が完全に独立すると,その解脱を離身解脱と呼ぶ。これが理想的な解脱である。この説は古来より一元論的傾向が顕著であったインド思想の中で二元論を主張するまれな学派であり,ヒンドゥー教に与えた影響も大である。その派の祖はカピラKapilaといわれ,代表的な根本聖典はイーシュバラクリシュナによる《サーンキヤ・カーリカーSāṃkhya-kārikā》である。
執筆者:松濤 誠達
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…仏教,ジャイナ教のように,ベーダ聖典の権威を認めない非正統派に対して,なんらかの意味でその権威を認める正統派にはいわゆる六派哲学がある。(1)サーンキヤ学派 宇宙の根本原理として,純粋に精神的原理プルシャと物質的原理プラクリティという2種を想定し,現象世界を説明しようとする二元論である。(2)ヨーガ学派 サーンキヤ学派の姉妹学派であるが,この学派の本領はヨーガの実修によって精神統一を実現し,解脱を達成するところにある。…
…サーンキヤ学派の開祖と伝えられる古代インドの哲学者。生没年不詳。…
…ただ,あえて言うならば,インド思想のほとんどは観念論だということになろう。たとえば,《ウパニシャッド》文献に端を発するベーダーンタ学派,サーンキヤ学派の考えによれば,われわれが経験するこの世界は,われわれが自己の本体(アートマン)が何であるかを知らないこと(無知,無明)がきっかけとなって展開したものであり,つまりわれわれの日常的認識(分別,迷妄)が作り出したものであるとする。これは仏教でも基本的には同様であり,《華厳経》の〈三界唯心〉,瑜伽行派の〈唯識無境〉〈識の転変〉なども,日常生活における主客対立の見方である〈虚妄分別〉の心作用がこの世界を形成すると説いている。…
…その真実の知を仏教では悟り(ボーディbodhi,菩提(ぼだい),覚(かく))といい,それを得た人をブッダbuddha(仏陀,覚者)といい,悟りの境地をニルバーナnirvāṇa(涅槃(ねはん))という。 仏教以降に出た諸派の解脱観については,たとえばサーンキヤ学派,ヨーガ学派は,自己の本体であるプルシャpuruṣa(純粋精神)を,身体(ふつうの意味での意識も含む)や外界など物質的なものから完全に区別して知ること(区別知,ビベーカviveka)によって,純粋精神が物質的なものから完全に孤立すること(独存(どくそん),カイバルヤkaivalya)が解脱であるとし,ベーダーンタ学派は,自己の本体であるアートマンātman(我(が))が実は宇宙の本体であるブラフマンbrahman(梵)と同一であると明らかに知ること(〈明〉)によって解脱が得られるとするが,いずれにしても,真実の知によって解脱が得られるとする点では,基本的に上述の仏教の考え方と軌を一にする。苦悟り【宮元 啓一】。…
…サンスクリットのアーカーシャākāśaの漢訳で,一般に大空,空間,間隙などを意味するが,古来インド哲学では万物が存在する空間,あるいは世界を構成する要素,実体として重要な概念の一つである。地・水・火・風の〈四大〉に虚空を加えて五元素ともいわれ,これに五感(香・味・色・触・声)を関連づけるサーンキヤ学派やバイシェーシカ学派の思想のもとでは虚空が聴覚と結びつき,音声は虚空の属性とされた(西洋哲学の〈エーテル〉の概念に相当)。仏教では〈六界〉の一つ(空界)とする一方,実在論的な部派では不生不滅の常住な存在(無為法)に高めた。…
…彼によれば,太初,唯一無二の有から熱(火)と水と食物(地)が生まれ,その三要素の混交によってこの雑多な世界が展開されたという。この三要素混交説を直接に継承したのがサーンキヤ学派の三要素(純質,激質,暗質)説である。インドでは,これ以外にも,さまざまな要素説が考案されたが,それらは,微細希薄な要素が粗大な物体になるという説と,不可分の最小単位である原子の結合を主張する説とに大別できる。…
…これに対して,仏教(経量部,ないしその系統をひく論理学派)は,実在するのは刹那(せつな)(瞬間)に消滅する個物のみであり,普遍などは,われわれの分別(ふんべつ)によって捏造された虚妄なもので,たんなる名称,言葉としてあるにすぎないとする。これに類似した説を,ベーダーンタ学派,サーンキヤ学派も唱えている。おおまかにスコラ哲学の用語をあてはめれば,ニヤーヤ学派などが実念(実在)論を,仏教などが唯名論を展開したといえる。…
…【木田 元】
【インド】
インドで真理・真実を表す語はさまざまであるが,その代表はタットバ,サティヤである。タットバtattvaは字義どおりには〈それであること〉を意味し,ものごとの本質というニュアンスをもち,サーンキヤ学派では〈原理〉と訳しうるような用い方をする。サティヤsatyaは〈必ずや実現される〉〈絶対に違わない〉という意味での真理・真実である。…
…訳語は1881年の《哲学字彙(じい)》以来定着している。【茅野 良男】
[インドの二元論]
インドでは,二元論はサーンキヤ学派によって代表される。それによれば,世界は本来,純粋知,精神原理であるプルシャと,無知性の物質原理である自性(プラクリティ)という,相互にまったく無関係の二つの原理よりなるとされる。…
… 図形としては,次のようなものが用いられる。点(それ以上凝縮しえない究極的相を示す),直線(成長・展開の相を示す),円(〈全体〉を表す),四角形(自然の質料を表す),三角形(サーンキヤ学派の説く純質・激質・暗質という自然の三つの性質などを示し,下向きのものは女性原理を,上向きのものは男性原理を表す),下向きと上向きの二つの三角形が交わってできる六芒星の形(六角の星形で,現象世界を顕現させる力を表す),五芒星(地・水・火・風・空の〈五大〉などを表す)などである。そのほかに〈門〉を表す形(聖域に入る入口を示す),蓮の花弁の形(神格の属性としての願望を成就させる力などを表す)なども用いられる。…
…この学派の説は一般に一元論であるが,根本経典の解釈をめぐって,後世,シャンカラの不二一元論,ラーマーヌジャの制限不二一元論,バースカラの不一不異論などが展開された。(3)サーンキヤ学派の哲学 六派哲学のなかでは最も起源が古く,精神原理(プルシャ)と非精神原理(プラクリティ)の二元論を主張し,しばしばシバ派の教学体系づくりに利用された。ヨーガ学派の姉妹学派といわれる。…
※「サーンキヤ学派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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