日本大百科全書(ニッポニカ) 「金峯山経塚」の意味・わかりやすい解説
金峯山経塚
きんぶせんきょうづか
奈良県吉野郡天川(てんかわ)村に存在する経塚群。1691年(元禄4)標高1720メートルの山上(さんじょう)ヶ岳(大峯(おおみね)山)の頂上より藤原道長奉納の経筒(きょうづつ)(寛弘(かんこう)4年=1007年在銘)などが発見された。道長の経塚造営の次第は彼の『御堂関白(みどうかんぱく)記』にみえており、それと一致する。わが国経塚造営の濫觴(らんしょう)である。ほかに50点以上の経筒、8点の経箱、約300点の神・仏像などが検出されている。この経塚群は、平安時代より室町時代にかけて造営されたきわめて大規模な複合経塚で、道長のほかにも白河(しらかわ)法皇、藤原忠通(ただみち)、同師通(もろみち)など多くの人々によって奉賽(ほうさい)された遺物群を含んでいる。また、神・仏像の出土により修験道(しゅげんどう)の霊場としての性格をあわせもつ地であることが知られる。
[坂詰秀一]