日本歴史地名大系 「金指村」の解説 金指村かなさしむら 静岡県:引佐郡引佐町金指村[現在地名]引佐町金指都田(みやこだ)川とその支流井伊谷(いいのや)川に挟まれた東西に延びる小丘陵上の南斜面に位置し、北は井伊谷村。浜松城下から三河・信州へ通じる交通上の要地にあたり、金指関所があった。信州飯田城下から三河境の新野(にいの)峠(現長野県阿南町と愛知県豊根村の境)を越えて当地へ至る道を、信州側では遠州道・金指街道などといった。天正一一年(一五八三)三月一六日、近藤秀用は又一郎に「かなさし」の田年貢八〇〇文の納入を命じている(「近藤秀用書下」鈴木文書)。同一七年七月七日には徳川家が「かなさし村百姓等」に宛てて七ヵ条の条規を定めた(「徳川家七ヵ条定書写」御庫本古文書纂)。慶長九年(一六〇四)八月の伊奈佐之郡伊谷之内金指村検地帳(鈴木家文書)によると田一三町余・畑二町余・屋敷八反余、町屋敷の名請人数一九。金指市は同二年に開かれたとされるが(「都田村年代手鑑」浜松市史)、前掲検地帳で屋敷数が多いのは市の形成とかかわると推測される。 金指村かなさしむら 茨城県:新治郡八郷町金指村[現在地名]八郷町金指富士(ふじ)山の東麓、恋瀬(こいせ)川右岸にあり、北は柿岡(かきおか)村、南は片野(かたの)村。弘安大田文に北郡として「金差十一丁六段半」とある。戦国末期に佐竹氏の支配下に入り、文禄五年(一五九六)の御蔵江納帳(秋田県立図書館蔵)に「高弐百十三石八斗四升 此内三十弐石一斗弐升 荒 かなさし」とある。江戸初期に下総関宿藩領となり(寛文朱印留)、のち旗本領となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by