金明山城跡(読み)きんめいざんじようあと

日本歴史地名大系 「金明山城跡」の解説

金明山城跡
きんめいざんじようあと

[現在地名]東広島市志和町志和堀

志和しわ盆地北端にそびえる金明山(七三五メートル)に築かれた山城。別名しん城。城主は天野氏。山頂から西南に延びる尾根上に、本丸を中心に一〇余の郭を直線的に配する。南麓には居館跡があり、「殿様屋敷」あるいは「藤内屋敷」とよばれ、天野氏または城代土肥藤左衛門の屋敷跡と伝える。

南北朝初頭、伊豆天野あまの(現静岡県田方郡伊豆長岡町)から来住した志芳しわ西にし村地頭天野政貞の居城。政貞は南朝方に属し、新田義貞の死後志芳庄に下向して金明山南麓に居館を構えて義貞の孫顕政を養子に迎え、顕政は南朝方諸氏を金明山にかくまったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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