20世紀日本人名事典 「金森又一郎」の解説
金森 又一郎
カナモリ マタイチロウ
明治〜昭和期の実業家 大阪電気軌道社長;帝国鉄道協会理事。
- 生年
- 明治6年2月3日(1873年)
- 没年
- 昭和12(1937)年2月9日
- 出生地
- 大阪府東区備後町
- 学歴〔年〕
- 船場小中退
- 経歴
- 生家は貧しく、10歳で船場小学校を中退して江之子島の大阪府庁の給仕として働き、夜は私塾で漢学・英語を学んだ。明治29年上司の七里清介に認められ大阪運河に勤め、42年金森商会を設立する。43年七里や岩下清周らが大阪電気軌道(大軌)を創立するに当たり実務担当重役に抜擢される。大阪と奈良を結ぶ鉄道敷設を大林組の大林芳五郎と組み、当時日本一の大トンネル・生駒トンネルの難工事などを完成させ、大正3年開業。この働きで取締役兼支配人となり、生駒に大遊園地・菖蒲池遊園地を開園して成功、信貴・桜井・八木線を増設して信仰の霊地への便を図り大当たりした。昭和2年社長に就任。翌3年姉妹会社の参宮急行電鉄を設立して社長を兼任。参宮線では生駒トンネルを上回る長さの青山トンネルを開削工事、大阪と宇治山田を繫いだ。のち大軌と参宮急行を合併して関西急行鉄道、更に隣接する鉄道会社を吸収し、日本最大の鉄道路線網を持つ近畿日本鉄道を創立、今日の近鉄の基礎を築いた。また帝国鉄道協会理事を務め、関西電鉄業界の重鎮として活躍した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報