日本歴史地名大系 「金武村」の解説 金武村かなたけむら 福岡県:福岡市西区金武村[現在地名]西区金武、早良(さわら)区金武・四箇(しか)三丁目・西入部(にしいるべ)一丁目吉武(よしたけ)村の南、室見(むろみ)川左岸に位置する。早良郡に属し、東は四箇村(現早良区)、南は西入部村(現同上)。南端には西(にし)山(四三〇・一メートル)があり、南西から北東へ室見川支流竜谷(りゆうたに)川が流れる。北東から南西へ三瀬街道が通り、南西の龍(たつ)峠(飯場峠)を越えて怡土(いと)郡飯場(いいば)村(現早良区)に至る。文永八年(一二七一)四月二七日の飯盛宮社領坪付(青柳文書/鎌倉遺文一四)に富永(とみなが)郷と戸栗(へぐり)郷の金武名がみえ、飯盛(いいもり)宮の二御輿修理料田一町(国免)、権非違社修理料田一町、職章給免一町四反、命婦給田二反などがあった。 金武村ちんむら 沖縄県:沖縄島北部金武町金武村[現在地名]金武町金武(きん)現在の金武町東部、金武(きん)湾に面し、石灰岩丘陵台地に立地する。地下水による鍾乳洞が発達する村で、沖積地帯では豊かな湧水をよりどころに古くから水田耕作が盛ん。金武(ちん)間切の主要村で、間切番所が置かれていた(琉球国旧記)。「球陽」尚王五年(一八〇八)条の金武間切に下知役を設置する記事などにみえる並里村(ナンザトゥとよび、現在の行政区である並里区にあたる)をも含む。現那覇市玉陵(たまうどうん)の弘治一四年(一五〇一)九月大吉日の年紀をもつ玉御殿碑文に「きんのあんしまさふろかね」とみえる金武按司の名を継承する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by