金谷経氏 かなや-つねうじ
?-1351 南北朝時代の武将。
新田義貞の一族。治部少輔(じぶのしょう)。南北朝に分裂後,播磨(はりま)(兵庫県)に挙兵して南朝方にたつ。のち脇屋義助にしたがって伊予(いよ)(愛媛県)におもむいた。観応(かんのう)2=正平(しょうへい)6年9月7日山城(やましろ)(京都府)の石清水(いわしみず)八幡宮に攻めいったが,敗れて自刃(じじん)した。上野(こうずけ)(群馬県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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