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崇光天皇 すこうてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

崇光天皇
すこうてんのう

[生]建武1(1334).4.22. 京都
[没]応永5(1398).1.13. 京都
北朝第3代の天皇 (在位 1349~51) 。名は興仁 (おきひと) 。光厳天皇の皇子,母は正親町公秀の娘,陽禄門院藤原秀子。正平3=貞和4 (48) 年譲位を受けて翌年即位した。その頃足利方は内輪もめが激しく,足利直義は,兄尊氏と不和で南朝にくだったので,正平6=観応2 (51) 年尊氏,義詮は,やむなく南朝と和睦し,南朝の後村上天皇に降参した。そのため崇光天皇は退位し,太上天皇の尊号を受けた。正平 12=延文2 (57) 年,賀名生から京都に帰って伏見殿に住し,元中9=明徳3 (92) 年出家した。陵墓は京都市伏見区桃山町泰長老の大光明寺陵。

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デジタル大辞泉の解説

すこう‐てんのう〔スクワウテンワウ〕【崇光天皇】

[1334~1398]北朝第3代の天皇。在位1348~1351。光厳天皇の第1皇子。名は興仁(おきひと)。足利尊氏(あしかがたかうじ)南朝にくだったため廃位。のち、南朝方に捕らえられて賀名生(あのう)に移され、さらに帰京して出家。

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百科事典マイペディアの解説

崇光天皇【すこうてんのう】

在位1348年−1351年。光厳天皇の皇子。母は陽禄門(ようろくもん)院三条秀子(さんじょうしゅうし)。名は興仁(おきひと)。伏見宮家の祖。1338年立太子(りったいし),1348年受禅(じゅぜん),1349年に即位式をあげた。
→関連項目光明天皇後光厳天皇正法寺

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

崇光天皇 すこうてんのう

1334-1398 南北朝時代,北朝第3代天皇。在位1348-51。
建武(けんむ)元年4月22日生まれ。光厳(こうごん)天皇の第1皇子。母は藤原秀子(陽禄門院)。光明(こうみょう)天皇のあと即位。室町幕府内で足利尊氏・直義(ただよし)兄弟があらそい,尊氏が南朝にくみして北朝の天皇,皇太子を廃した(正平(しょうへい)一統)ため,在位3年で廃位され太上天皇の尊号をうけた。光厳・光明両上皇とともに,一時南朝側に身柄をうつされたが,のち解放されて京都にもどる。明徳3年出家。応永5年1月13日死去。65歳。墓所は大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は益仁(ますひと),興仁(おきひと)。法名は勝円心。別名に伏見殿。日記に「崇光院御記」。
【格言など】鈴鹿川八十瀬の波の立居にも我が身の為の世をば祈らず(「新千載和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

崇光天皇

没年:応永5.1.13(1398.1.31)
生年:建武1.4.22(1334.5.25)
南北朝期の北朝第3代天皇。父は光厳天皇,母は内大臣三条公秀の娘秀子(陽禄門院)。初名益仁,のちに興仁と改める。法名勝円心。貞和4/正平3(1348)年践祚。在位4年目の観応2/正平6年,足利尊氏,直義兄弟の抗争が激化,尊氏が直義討伐を目的に南朝と和睦したため,南朝の後村上天皇によって廃され,太上天皇の尊号を受ける。翌年以降,光厳,光明の両上皇,直仁親王らと,大和賀名生(奈良県)や河内(大阪府)金剛寺などを転々と移され,延文2/正平12年に帰京,伏見殿に隠栖した。持明院統の嫡流として,皇子栄仁親王の即位を熱望したが,皇位は同母弟の後光厳天皇の系統に移ったため,かなわなかった。しかし文化的な面では,持明院統の嫡流が重きをおいた琵琶の伝習に励み,秘曲を究め,弟子や栄仁親王が初代となった伏見宮家にこれを伝えた。和歌でも,持明院統の用いた京極派の歌風を維持,伏見殿での歌会などにより,独自の歌壇を形成した。<参考文献>宸翰英華別篇編修会編『宸翰英華 別篇北朝』

(相馬万里子)

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世界大百科事典 第2版の解説

すこうてんのう【崇光天皇】

1334‐98(建武1‐応永5)
北朝第3代天皇。在位1348‐51年。光厳天皇第1皇子。名は初め益仁,後に興仁と改めた。母は陽禄門院三条秀子。1338年(延元3∥暦応1)立太子,48年(正平3∥貞和4)受禅,翌年即位式を挙げたが,51年(正平6∥観応2)足利氏内紛により尊氏が南朝に一時降伏したため(正平一統)北朝は廃され,その翌年光厳・光明両上皇とともに吉野の賀名生に,後に河内天野山金剛寺に移された。57年(正平12∥延文2)還京,伏見に住んだ。

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大辞林 第三版の解説

すこうてんのう【崇光天皇】

1334~1398) 北朝第三代天皇(在位1348~1351)。名は興仁おきひと。光厳天皇第一皇子。在位四年。1352年以後六年間、南朝方のため賀名生あのうに幽居。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

崇光天皇
すこうてんのう
(1334―1398)

北朝第3代天皇(在位1348~51)。名は興仁(おきひと)、益仁(ますひと)、伏見(ふしみ)殿。光厳(こうごん)天皇の第1皇子。母は陽禄門院藤原秀子(父正親町公秀(おおぎまちきんひで))。1338年(暦応1)8月立太子、48年(貞和4)10月践祚(せんそ)、翌年12月即位した。51年(観応2)足利(あしかが)一門の内紛に伴い南北の一時的和議がなると、南朝の後村上(ごむらかみ)天皇が京都に迎えられ、崇光天皇は廃位され、太上天皇の尊号を受けた。翌年北畠顕能(きたばたけあきよし)らの南軍により、光厳、光明(こうみょう)両上皇とともに賀名生(あのう)(奈良県吉野郡)に移された。57年(延文2)京都に帰り伏見殿に住し、92年(明徳3)出家した。陵墓は京都市伏見区桃山の大光明寺陵。[小野信二]

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