日本歴史地名大系 「釜方役所跡」の解説 釜方役所跡ふそうかたやくしよあと 島根県:松江市松江城下横浜町釜方役所跡[現在地名]松江市幸町横浜(よこばま)町西端の宍道湖畔にあった松江藩の鋳造所。通常は釜甑方といわれる。家老三谷権太夫と神谷兵庫の下屋敷の間に藩の御用屋敷があり、その地に釜甑方が設けられたという。鍋釜をはじめ梵鐘や火鉢、青銅や唐銅の鋳物も造られた。その起源は不詳であるが、出雲国はタタラ製鉄による和鉄が有名で、松江藩には鉄穴方があり、和鉄のほか盛岡藩諸郡産の鉄で享保(一七一六―三六)頃に多々納虎蔵が鍋釜の鋳造を行ったという(松江市誌)。のち中断されたが、延享城下図などによると、松江分の円成(えんじよう)寺東方に表口二六間五尺・後口二八間五尺、東入二三間二尺・西入三九間の用屋敷がみえ、この地が釜甑方となった。雲藩列士録(県立図書館蔵)によれば、釜甑方の創立者は伊藤政右衛門で、宝暦六、七年(一七五六、五七)頃の開設と推察される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by